鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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寸法や織り方、様式の一致、上下間に挿入された文章の銘文の高い関連性、そしてとりわけ図像の明らかな連続性から疑いようがないが、最近ではコスローとカヴァッロがこれらの連結を無視した復元図〔図9〕を作成し現在に至る(注11)。つまり、改めて復元図を再考することが求められる。復元図作成における主たる問題は、これら二つの大きな断片の間に如何なる図像・場面が展開されたかという点にある。ロリマーは全体像として、細い円柱で区分された上下12の場面を想定した〔図8〕が根拠に乏しく、後年ウェルズは新たに、同じくバーレル卿コレクションに所蔵された天蓋のある断片をその間に据え、さらに豪奢で赤いマントを羽織った青年の図像をその右下部へ、そして教皇の座る椅子の脚部をそれぞれ据える〔図10〕(注12)。青年の図像(ウェルズは福音書記者ヨハネと同定)も椅子の脚部も、同じくグラスゴーの複合的な断片に登場する。ウェルズの復元図を高く評価したセットは、同図のテーマをジャン・シュヴローへのトゥルネ司教叙階図と推定する(注13)。またニースは詳細な文献調査により、かつてトゥルネ大聖堂に司教礼拝堂があり、司教が変わる毎に、聖具や調度品などの装飾を新たにする慣習のゆえに、《七秘蹟タペストリー》と《七秘蹟祭壇画》が依頼、制作されたとするが、この説が現状最も無理がなく真実らしい(注14)。つまり制作背景からも、シュヴローの叙階図が中心となる全体像は最も蓋然性が高い。シュヴローは、一般的な叙階図で受領者がするように、授受者の手前、祭壇の手前あたりで跪き合掌する姿であったことが予想できる。2 展示空間の推定タペストリー〔図3~6〕を眺めると、所々詰まったような、そして所々間延びしたような図像描写に気がつく。前者についてはとりわけナアマンの浸水図における豪奢なウプラントの預言者エリシャの右腕、洗礼図の母親と兵士の右腕、結婚図の新郎の右腕と新婦の左腕、そして終油図の病床の人物の上半身などの各部分であり、反対に後者については浸水図のエリシャの左腕、洗礼図の母親の左腕と兵士の左腕、堅信図の母親の左腕、結婚図の新婦の右腕、そして終油図の病床の人物の下半身などの各部分である。つまり、中心から見て左側、洗礼図を含む一連のパートでは、画面向かって右奥へ、そして反対側の右側、つまり終油図を含む一連のパートでは、画面向かって左奥へ遠のくように図像が引き詰められている。各場面を分ける間柱と図像との間隔もそれぞれの奥行きに応じるように狭まったり広まったりしている。つまり、左側のパートでは、向かって左から、対して右側のパートでは、向かって右から見られる― 113 ―

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