赤という衣服の色の対比が認められる。この対比は、奥の叙階図における教皇の外衣(青)と福音書記者ヨハネとされる青年のマント(赤)で繰り返される。左右および遠近の、空間全体における配色の対比と繰り返しが確認できる。モチーフに注目すると、まず洗礼図の洗礼盤の縁と終油図の中央の男児が手にするのは、ともに聖堂の形をした香油箱であり、ほぼ向かい合わせの位置にあたる。人生の始まりから終わりまで教会とともにあることが暗示されるようだ。次に、上半身裸のナアマンと、胸部のみだが、これも裸の、終油図の病床の人物へは、ともに斑点のあるラクダ色の布が登場する。さらに、先の洗礼盤と、ダヴィデへの塗油図に登場する香油器は、ともに「液体を張った器」である。これらは、左右並行のみならず斜めに交錯する対応をみせ、複雑な相関性が認められるとともに、旧約時代の秘蹟と七秘蹟との密接な関係が暗示されると思われる。また人物配置についてみると、浸水図とダヴィデへの塗油図では人物がほぼ横並びとなり、老ヤコブの祝福図とアダムとエヴァの結合図では、ともに中心となる人物に左右の人物が従属するなど、ここでも画面の向かい合わせの対応が認められる。さらに床モザイクの柄は、斜めに走る市松文様(洗礼図、堅信図、結婚図、終油図)か、一点透視図法的に走る市松文様(老ヤコブの図、アダムとエヴァの結合図)か、など空間全体の左右で対応し、さらに唯一建物外の場面であるナアマンの浸水図では床ではなく草木が生い茂るが、その向かい合わせとなるダヴィデへの塗油図では、花文様のある市松文様がわざわざ選ばれている。これらの色やモチーフ、人物配置、床モザイクなどの高い相関性は、タペストリーの図像が空間全体で考えられたことを示唆し、逆説的にコの字型空間への展示プログラムの蓋然性を高めるといえる。礼拝堂空間の正面を飾るのは、叙階図のタペストリーと《七秘蹟祭壇画》である。これまでタペストリー左側では洗礼図から堅信図へ、右側では終油図から結婚図へと細い柱を隔てて展開される構図が認められたが、祭壇画でもこれらの七秘蹟の順序が間柱を隔てて繰り返される。三次元空間から二次元空間への、ある種のデジャヴを喚起する構図と配置と解釈できる。さらに両作品の主祭壇上には聖ペテロとパウロを伴う聖母子図像が登場する。エクレシア(教会)の象徴として解される聖母子図像は言わずもがな、教皇庁や教皇の象徴でもある聖ペテロとパウロの両図像の主祭壇という重要な場所への登場は当時の北方地域において非常に少なく、むしろ依頼主による意図的な選択があったと考えるべきだろう(注16)。ただし細部を見れば、堅信図では塗油(祭壇画)か散髪(タペストリー)か、結婚図では散水機の使用の有無など、秘蹟の執行方法や人物配置などによる構成の異同があり、両作品の図像源泉における隔― 115 ―
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