鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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的であったのは氏によるところが大きい。調査目的とこれまでの経過筆者の研究は、わが国において定説となっている上代錦論考(法隆寺・正倉院蔵の経錦と緯錦)批判からはじまった。その論評のために半世紀におよぶ時間が費やされた。しかし、いま、概ねの結論を導き出したと考えている。基礎的な技法研究と海外資料をみることであったが、それから錦の理論と錦の世界史がひらけてきた。それは、2001年、「サミットの成立とその展開」となり(注1)、2012年、博士論文『緯錦の成立と発展に関する研究─経錦から緯錦へ─』となった。それは、ヨーロッパ─アジア(ユーラシア)の範囲に広く展開し存立した古代・中世の錦の種類を分類し体系化したものであるが、あらためて「古典的錦4型」にまとめた(下記表)。我々には経錦に対する思い込みがあったようである。すなわち経錦は古く、緯錦は新しいと。しかし、世界資料を検討すれば上代経錦(7世紀)は緯錦(サミット)に後れて現れてきている。それならば経錦の初めとはどのようなものであったのか、それを知らなくてはならない。調査の目的はここにあった。古典的錦4型:I-IV型字数制限のために今回の主目的であるその第Ⅰ型・平地経錦に関してのみ述べる。北カフカス資料(第Ⅲ型・サミット)はすでに総括されている本稿に補充される。資料研究戦前、中国本土に中国最古の錦(戦国─漢代)の遺存をみることがなかった(注2)。そのとき中国北方柵外の永久凍土に造営された草原騎馬民族の木槨墓(クルガン)から保存の頗る良好な染織資料が多数出土し、エルミタージュ美術館の所蔵となった。それら出土品は上記分類において第Ⅰ型中国経錦となる。それに対してわが国の上代経錦(六朝─初唐)は第Ⅰ型に別して第Ⅳ型に位置し、中国経錦ではあるが、その製作の理念も様式も第Ⅰ型経錦と同じものではなくなっている。緯錦(サ― 2 ―I. 複様平組織の経錦 Warp-faced compound tabbyII. 複様平組織の緯錦 Weft-faced compound tabby (*タクテ Taquté)III. 複様3枚綾組織の緯錦 Weft-faced compound twill (*サミットSamit)IV. 複様3枚綾組織の経錦 Warp-faced compound twill用語例:Warp-経糸  Weft-緯糸  Tabby-平組織  Twill-綾組織

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