鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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1.《知恵の勝利》油彩画と版画における相違点《知恵の勝利》の油彩画と版画は、その制作年と主題をめぐって長年議論されてきた作品である。油彩画の制作年については近年では1590年代後半と見なされる傾向にある(注3)。版画の制作年はサデラーがプラハの宮廷版画家となった1597年以降から1600年頃までとされることが多い(注4)。⑫ルドルフ2世治世下のプラハにおける芸術運動─バルトロメウス・スプランゲル作《知恵の勝利》の油彩画と版画を中心に─研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士後期課程  川 上 恵 理はじめに神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に仕えた画家、バルトロメウス・スプランゲルは1590年代後半に《知恵の勝利》(ウィーン美術史美術館)〔図1〕を描いた。本作品はその後エギディウス・サデラーによって版画化されている〔図2〕(注1)。ただし、この版画は「複製版画」とは見なし難いほどに、描写が油彩画から変更されている。本稿では、この差異に着目することで、版画の意味内容を再考し、それを通して当時プラハで起こった絵画の地位向上の動きについて考察する(注2)。両作品の中央には武装したミネルヴァが立つ。油彩画ではロバの耳を持つ「無知」を踏みつけ、同擬人像をしばった縄を左手に持ち、右手に槍を持って、左のプットーが月桂冠を授けるその時を待つかのごとく、胸をそらして立つ。右手からは、もうひとりのプットーがシュロの葉を差し出している。対して、版画では今しもミネルヴァが「無知」を縛り終わったところのようである。同じくプットーが月桂冠を被せようとするが、ここではプットーはひとりであり、もう一方の手にシュロの葉を持っている。ミネルヴァの立つ台座には、油彩画ではアウグストゥス帝の再来者としてのルドルフ2世の獣帯記号であるカプリコルヌスが刻まれるが、版画では代わりにスプランゲルとサデラーの名が見られる。台座の前には戦争の女神ベローナと、歴史のムーサであるクリオ、もしくは叙事詩のムーサであるカリオペと解釈される女性像が描かれる。油彩画では彼らは後景に一切の関心を示さないが、版画ではベローナは振り返ってミネルヴァを見つめ、ムーサは欄外の銘文を書く(注5)。その他の台座左右の人物群については、クリオかカリオペと取れる人物像の背後に3人の芸術の擬人像が見られる点では変わらないが、ベローナの背後の人物像は異なる。油彩画では、5人の人物像が見られ、そのうち2人がアトリビュートを持つ。天球儀を持つ女性像はウラ― 123 ―

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