鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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5、絵巻群と正倉院されたとみられる。その阿弥陀の金色身表現が、金の裏箔に表面から金泥を施すというそれまでに例のない表現を有していることは(注15)、このような光への感覚の継承を想起することでより明確に絵画史上に位置づけることができるだろう。このような後白河院政期における表現技法上の東アジアへの広がりを措定する時に、後白河法皇の絵巻制作への異常な情熱とそこに底流する隠微なまなざしが、後白河法皇に特異なものであろうかというさらなる疑問が湧くことを禁じ得ない。例えば「病草紙」と南宋宮廷における北宋・王端「歯痛図」(『南宋館閣録』所収)や伝李唐「炙艾図」(台北故宮博物院)の伝来は無縁であるのだろうか(注16)。そのような問題意識を持ってみれば、後白河法皇の絵巻制作と宝蔵への秘蔵、限定的な公開を通じた文化覇権という構想が、北宋末の徽宗による画院整備と文物蒐集、収蔵を意識したものであった可能性も考えなくてはならないだろう(注17)。では、この一見統一性のない絵巻群の蓮華王院宝蔵への収蔵にはどのような意図があるのだろうか。ここで注目されるのは、近年、山本聡美氏によって「病草紙」「地獄草紙」「餓鬼草紙」の多くの場面が『正法念処経』(大正蔵巻17)を典拠とすることが指摘されていることであろう(注18)。また、長岡龍作氏は、正倉院における聖武天皇追善の機能を期待された画屏風施入の根拠として同経をあげている(注19)。ここに正倉院と蓮華王院宝蔵を結ぶ極めて細い糸がみえてくる。特に長岡氏が注目された動物をあらわした﨟纈屏風の画題である鸚鵡、獅子、鹿、象、虎、水牛等のうち、鸚鵡を除くいずれも『正法念処経』巻三十四に悪しき心をもった動物として登場する。特に猿は「心の猿猴」とされ、例えば同経巻第五には「此の心の猿猴は、常に地獄餓鬼畜生なる生死の地を行く」とあり、心の治まらない状況が修行者をこれらの世界に導くことが記される。ここでこれらの動物を一覧する時に俄に浮上するのが「鳥獣人物戯画」(高山寺)甲巻と乙巻ではないだろうか。猿と鹿は甲巻に、獅子、象、虎は乙巻にそれぞれ登場する。そして、兎と蝦蟇も『正法念処経』巻三十四に心性の悪しき動物として登場する。それらにより特に僧たるべき人の心の動揺を象徴するとされた猿が追われるという甲巻の図様は、改めて注目されるだろう。「鳥獣人物戯画」については、その主題や制作背景が明らかにされているとはいい難いが、これらが『正法念処経』を主題の一つとすると考えることが許されるならば、後白河法皇による六道絵制作との関わりを新たに想定することも可能ではないだろうか。― 140 ―

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