「新神靈廣成壽萬年」銘文錦<MR1834>かかわらず、馬具、車蓋類、生活・衣服など土着の色濃い副葬品遺物と共に、布帛類が大量に、しかも保存の良好な状態で出土した。豪快にして絢爛な竜文の刺繍、スキト・サルマート様式の動物闘争文や鳥・草木を刺繍した毛氈、そして地中海東沿岸地方から中央アジアに行われていた帯状装飾の綴れ織など、それら多様な東西の文様と技法を示す大型遺物が整然と展示されていた。それは、これらの墓の主が東西にわたる広大な北方草原地帯を騎馬で活溌に移動・交流し、各地の文物を手にしていた強者であったことをうかがわせる。それら剛勇な民族とその文化のさらなる考察も必要であるが(注10)、我々の主目的は錦にあった〔図9〕。第Ⅰ型経錦の典型として今回の現地調査の第一の希望にすえたものである。錦は梅原氏著書においてモノクロムの図版でしか知られない〔図10〕(注11)。錦は色なくしては存在意義を示せない。それゆえ色彩を知る願望があった。織文もまた後漢代に定型化する動物雲気文とは趣きを異にし、草創期作品にみられる瑞々しさ、躍動感がみなぎっている。ただものではないという印象があった。展示室にその実物があった。騎馬民族特有の乗馬用袴(行縢)に仕立てられたものであった〔図11a、b〕(注12)。しかし形は小さく、材質(絹)からして実用的とはみえず、保存の状態からみて副葬品であったのであろう。ガラス越しの観察は天井の豆電球の照明に妨げられ見えにくかった。そのため枠の取り外しの提案があったが、資料への影響を考えて辞退した。ガラス越しに見る色は全体的に赤褐色であったが、それでも模様はたおやかに浮き上がってみえた。絹特有の典雅な艶やかさも漂っている。さすがであった。写真撮影は廃物の段ボールを用いて苦心して遮蔽し撮ることができた。翌日、保管責任者のユリア・エリヒナ博士の研究室の一隅で、紙に貼付けられた大型の断片を閲覧した。あらわな状態で表面は傷み、色も失っていたが直接の観察は可能であった〔図12a〕。旧来のルーペによる観察はパソコンに取り込むことが出来ず、借用して持っていったマイクロフォトスコープは資料への光熱の影響を考慮して無理を避けた。しかし目視でも第Ⅰ型経錦の典型的な組織構造は明瞭に把握された。撮影された写真では色は、全体的に褪せて古びた黄土色を呈していたが、パソコン上で画像の彩度をやや上げると、2000年前の秘められた色が滲み出て来た〔図12b、c〕。製作時、地は赤(朱)系の色で、模様には薄茶と緑が用いられ彩られていたのであろう。美しい。しかし、ここに現れた色はエリヒナ、パンコーヴァ両氏と検討しなければならない。― 5 ―
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