鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
163/550

性について国際的な舞台で思慮を巡らす契機が訪れる。アンフォルメルを提唱したミシェル・タピエとの活動である。アンフォルメルは「書道的抽象(Calligraphicabstraction)」と呼ばれる様式を発展させたフランスの美術動向である。吉原とアンフォルメルとの団結は1958年4月に大阪を皮切りに国内他4カ所を巡回した『新しい世界美術—アンフォルメルと具体』展で一つの実を結ぶ。そこでは、タピエの主張する「叙事詩的追求」と吉原の表現する「国境や人種の差を超えて相擁したい程の痛烈な共感」が一致したように見とれる(注20)。しかし、ここでも更に踏み込んだ分析が必要となるだろう。この展覧会に先んじて1957年10月号の『美術手帖』に「アンフォルメルをめぐって─西洋と東洋・伝統と現代」と銘打った座談会の報告が掲載された。今井俊満、針生一郎と山口勝弘という3人の間で繰り広げられた議論のなかでも、針生の指摘したアンフォルメルが目指したとされる「魔術的、呪術的といった・・・アンチ・ヒューマニズム」に着目したい(注21)。これは、タピエと共にアンフォルメルの作家が感じていた西洋における近代主義の行き詰まりを打開する手だてとして注目された思想であるが、これと「叙事詩的追求」との同義性を見逃してはならないだろう。また、これが更にアンフォルメルの追い求めた東洋的神秘思想と重複する事も見落とすわけにはいかない。なぜならタピエが具体の創造性に察知したのは19世紀の欧州のロマン派が文明に曝されていない未開人に見出した「高貴な野蛮人」と類似した理想像だったのではないか、と言えるからである。ここに再びズレが生じる。吉原率いる具体が目指したものは勿論東洋の神秘主義であり得る訳はなかった。吉原は前衛書道との交わりの中でもそれを超越しようと試みていた。また、機関誌『具体』創刊号に「われわれはわれわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したいと念願しています。新鮮な感動をあらゆる造形の中に求めて止まないものです」と明言し、国境を越えた造形表現を追求していたからだ(注22)。しかし吉原を中心とする具体美術協会は、アンフォルメルこそ世界への窓口を広げてくれると信じそれに信奉してゆく。更には、その出会いを機に具体はタピエの要請を受け、海外ヘの搬送が簡易で売り込み易い平面作品を中心に制作することになる。タピエは、具体の絵画に「叙事詩的追求」を見たのであろう。しかし、タピエの目に具体の絵画作品と前衛書道との間の距離感が見て取れていたのか。答えは否であろう。それだけでなく、極めて皮肉にも絵画作品の評価は米国においてはかなり低かった。例を挙げれば、1958年10月に具体の初めての海外展、第6回具体美術展がニュー― 152 ―

元のページ  ../index.html#163

このブックを見る