「右流し」の「東照大権現像」との比較しかしながら、面貌各部をみれば德川本との違いも確認できる〔図4〕。右目がつり上がり、左小鼻の上のしわがほうれい線へつながらない。また目鼻口の位置関係やしわの構成に定型化した傾向が読み取れる。眼窩の彫りを示す楕円形の線は瞳から離れ、眉は左右均等に描かれる。家康の背景に描かれた山水や建築物も簡略化された表現といえる。これら図様の変化から、先行図像を参考に描いた制作状況が想像される。天海により木村了琢に依頼されたこと、その人物表現には德川本と差異を見出せることを考えあわせると、来迎寺本は木村了琢の工房作と考えてもよいのではないだろうか。来迎寺本と似通った作例に京都大学総合博物館が所蔵する「東照大権現像」(以下、京大本)〔図5〕がある。京大本はその旧箱書蓋表から寛永寺寒松院の旧蔵であったこと、蓋裏から僧純海により慶安2年(1649)に修理されたことがわかる(注12)。京大本も、東照大権現の背景に寺院建築と鳥居が描かれた数少ない作例のひとつで、針葉樹が林立する山水は德川本や来迎寺本と共通する。ただし、東照大権現の姿形も先の2点と共通点をもつが、その顔貌はしわのたるみが強調され、唇の直下には德川本と来迎寺本にはなかった髭が加わっている〔図6〕。眼窩の弧線が2本の曲線に引き分けられている点も注目しておきたい。総じて、老齢の家康を思わせる画像である。その他、来迎寺本や京大本と近似した画像に愛知県長圓寺蔵の「東照大権現像」(以下「長圓寺本」)がある。榊原悟氏は、明言を避けつつも、来迎寺本との類似を指摘しているが(注13)、図版を見る限り、背景の山水は京大本の方が近似しているようだ。いずれにしても、長圓寺本も来迎寺本や京大本に類似した図像であり、木村了琢工房かそれに近い画家によって描かれたと考えられるだろう。このように、德川本と類似した作例と紹介されてきた来迎寺本や京大本であるが、それらをつぶさにみれば、東照大権現の顔貌に明らかな差異を見出すことができる。德川本に描かれた家康の顔を見ると、そこに「東照大権現像」の初発的な人物表現、つまり原図の可能性さえ認めるべきかもしれない。なお、来迎寺本(寛永15年には完成)が德川本の制作からさほど時を経ていないことが想像されるので、德川本も寛永年間の制作かもしれない。寛永年間であれば、天海の代筆による着賛とも矛盾しないのである。ここまで比較検討した作例は袍の裾を左に流した「左流し」の作例で、德川本と近― 159 ―
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