鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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注⑴「東照宮縁起絵巻」や「霊夢像」諸本についての主要な研究は以下の通り。榊原悟『狩野探幽』(臨川書店、2014年)、德川記念財団・江戸東京博物館編『徳川家康の肖像─江戸時代の人々の家康観─』(德川記念財団、2012年)、松島仁「狩野派絵画と天下人─障壁画と肖像画を中心に─」(『聚美』3号、青月社、2012年)、松島仁『徳川将軍権力と狩野派絵画─徳川王権の樹立と王朝絵画の創生』(ブリュッケ、2011年)、鎌田純子「名古屋東照宮所蔵『東照宮縁起絵巻』の製作背景について」(『金鯱叢書』32号、思文閣出版、2005年)、小松茂美編『続々日本絵巻大成伝記・縁起篇08 東照社縁起』(中央公論社、1994年)、畑麗「東照宮縁起絵巻住吉諸本の成立」(『古美術』73号、三彩社、1985年)畑麗「東照宮縁起絵巻の成立─狩野探幽の大和絵制作」(『國華』1072号、國華社、1984年)と考えられる。これらの図像から、後に「右流し」の「東照大権現像」が派生し、関東地方の天台宗寺院や天海と深い関わりをもつ寺院に普及したと考えられる。図像の比較から導き出されるこのような伝播の様相は、当時の天台宗の東照大権現信仰との関わりが想定される。早計な関連づけは慎むべきだが、関東天台宗の末寺支配の強化や天海の勢力拡大策を、画像の制作背景として推察することもできよう。ただし、「東照大権現像」は天台宗に限りに普及した画像ではない。今後は他の宗派にも視野を広げるとともに、当時の天台宗の動向をさらに精緻に調査し、「東照大権現像」制作と東照大権現信仰の関わりを検証する必要がある。そして、天海が近世美術にもたらした成果にまで視野を広げることも、将来の展望としたい。⑵衣冠束帯姿の「東照大権現像」について言及したものに、前注⑴、德川記念財団他編『徳川家康の肖像─江戸時代の人々の家康観─』のほか、島尾新「東照大権現像」(『國華』1437号、國華社、2015年)、守屋正彦「東照大権現像の成立」(『真保亨先生古稀記念論文集 芸術学の視座』勉誠出版、2002年)、榊原悟「長圓寺蔵・板倉家歴代画像について」(『古美術』50号、三彩社、1976年)などがある。⑶主な研究に、山澤学『日光東照宮の成立 近世日光山の「荘厳」と祭祀・組織』(思文閣出版、2009年)、中野光浩『諸国東照宮の史的研究』(名著刊行会、2008年)、曽根原理『神君家康の誕生 東照宮と権現様』(吉川弘文館、2008年)、曽根原理『徳川家康神格化への道─中世天台思想の展開』(吉川弘文館、1996年)、菅原信海『山王神道の研究』(春秋社、1992年)、高藤晴俊『家康公と全国の東照宮』(東京美術、1992年)など。⑷前注⑶、中野文献⑸堀江登志実「東照大権現像について」(三河武士のやかた家康館特別展『家康の画像と遺品』岡崎市、1992年)、斎藤夏来「家康の神格化と画像」(『日本史研究』545号、日本史研究会、2008年)、中川仁喜「天海と深秘の絵仏師について」(『山家学会紀要』5号、山家学会、2002年)⑹前注⑸、斎藤文献⑺木村了琢については、福岡市美術館編『近世の絵仏師』(福岡市美術館、2004年)、大西芳雄「絵仏師木村了琢─東照宮深秘の壁画について」(『東京国立博物館紀要』10号、東京国立博物館、1974年)、大西芳雄「東照宮本社御内陣の絵師木村了琢について」(『MUSEUM』237号、東京― 163 ―

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