第6号墳からの出土品である。展示室では閲覧ケースの背面壁に経糸を水平にして貼付けられている〔図9参照〕。それは、資料に負担がかかっているのではないかと、ふと思わせた。この錦は日本でも展示された〔図15a〕(注15)。ノイン・ウラ匈奴墓からは前記<MR1834>錦をはじめ、多数の錦が出土している。今回は、そのすべての閲覧調査はかなわなかったが、しかしそれらの多くが典型的な漢代錦のたたずまいを見せているのに対して、この山岳双禽樹木文錦は、それらとはまったく異なる別格の図様によって印象づけられる。ここには織銘もない。錦は上辺に幅1cmの無地部分の織耳を192cmにわたって残し、全長は分からないが、図文は、大きな万年茸(霊芝)の間に巍峨たる像容の岩山が2つ相対するようにそそり立っている。しかし対称的ではない。その一方の岩山の中腹から1本の繊細な枝葉をつけた樹木が立ち上がっている。岩山の頂きに2羽の冠毛のある大きな鳥が霊芝の方に首をのばしている。これらの図様は90度倒置の顕紋で〔図15b〕、53~55cmの紋丈で経糸方向に繰り返されている。図様は幽遠にして雄渾壮大である。この特異な印象は、匈奴の精神内容を盛り込むもので、中国側に発注して織り出させたのではないかと考えさせる。ルーボ・レスニチェンコも同じようなことを述べている(注16)。多くの錦が中国からの贈品であったのに対して、これは匈奴の側からの特注であったのであろう。中国はそれに応じ従ったのであろう。経糸が部分的に6重経にもなる最高品質の錦である。している。図像に象徴的な意味があるのであろう。撮影された部分写真は縫製の手際もリアルに写し出している。これほどまでに大量の錦が使われていることは驚異としか言いようがない。山岳双禽樹木文錦<MR1330>撮影された写真からはかなり傷みが目立つ。小断片展示室の引き出しに、小断片であるが貴重な3資料を見いだした。その1は「群鵠」の文字のある錦<MR1838>(梅原、図版36右)〔図16〕、その2は双魚文錦(梅原、図版45)と禽形華文錦(梅原、図版43)の縫い合わせの断片<MR1889>である〔図17〕。中国正史が記す匈奴に流れた中国絹匈奴が取得した中国錦の量が並外れて多大であったことは中国正史も記している。― 7 ―
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