鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
181/550

(一)地天と歓喜天天・二鬼の属性について考究する。具体的には、新図様における地天が「歓喜天」と説かれることに注目し、毘沙門天脚下の地天・二鬼がガナパティを主とする善きヴィナーヤカとして理解されることを示す。毘沙門天脚下に地天・二鬼を表すことを説く経軌は、日本製の偽経とされるものを除くと、般若斫羯囉訳『摩訶吠室囉末那野提婆喝囉闍陀羅尼儀軌』が唯一である。本儀軌は中国製の偽経とされ、般若斫羯囉(翻訳名「智慧輪」)の関与についても疑問視されている(注8)。般若斫羯囉を九世紀中頃に活躍した大興善寺の智慧輪と同一人物とすることには問題があるものの、空海の『御請来目録』に「摩訶室囉末那野提婆喝羅闍陀羅尼儀軌一巻/右般若輪三蔵訳」(注9)との記載があることから、九世紀初頭には般若輪三蔵による儀軌が存在したことが確かめられる。空海によって請来された本儀軌は、少なくとも日本における毘沙門天脚下の地天・二鬼の意味を考える上で重要な史料と位置づけられる。本儀軌によれば、毘沙門天は「其の脚下に三夜叉鬼を踏む。中央は地天と名づけ、また歓喜天と名づく。左辺は尼藍婆と名づく。右辺は毘藍婆と名づく。」(注10)という。注目すべきは、「地天」の別名が「歓喜天」とされることである。「歓喜天」は、彌永信美氏によれば翻訳僧が考案した訳語と考えられ、その梵名は「ガナ衆の主」を意味するガナパティあるいはガネーシャであるという(注11)。彌永氏は、本儀軌に記される「三夜叉鬼」中央の「歓喜天」にガナパティ=歓喜天との関連、あるいはハーリーティー=鬼子母神を指す「歓喜夜叉女」との関連を示唆する。ハーリーティーとの関連、すなわち「歓喜夜叉女」を「歓喜天」と称しうるかについてはなお検討を要するものの、少なくともガナパティとの関連については認めてよいものと思われる。つまり、「歓喜天」を別名とする毘沙門天脚下の「地天」には、ガナパティとしての性格があった可能性が考えられるのである。「ガナ衆の主」であるガナパティは、ガナが障礙神のヴィナーヤカと同一視されたことから、ヴィナーヤカの首領ともみなされた。こうしたガナパティを主とするヴィナーヤカについて、不空の弟子である含光は『毘那夜迦誐那鉢底瑜伽悉地品秘要』の中で次のように述べている。すなわち、象頭人身の「大聖天歓喜王」について、「此の天は即ち誐那鉢底。此にては歓喜と云ふ。余の毘那夜迦には非ざる也。慈善根の力を以って、諸の毘那夜迦をして歓喜心を生ぜしむ。然る後に呵責して障を作らざらしむ。」(注12)という。要するに、障礙神とされるヴィナーヤカの中には、歓喜天であ― 170 ―

元のページ  ../index.html#181

このブックを見る