鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
182/550

(二)尼藍婆・毘藍婆の図様るガナパティをはじめ、その慈善根の力によって歓喜心を生じて障礙を作らなくなった除障礙神としての善きヴィナーヤカが存在するというのである。毘沙門天脚下の「三夜叉鬼」中央の「地天」が「歓喜天」であるとすれば、この地天はヴィナーヤカ王のガナパティとしての性格、すなわち慈善根の力によって諸々のヴィナーヤカに歓喜心を生じて障礙を作らなくさせる除障礙神としての性格を有していたと考えられよう。毘沙門天脚下の地天については、これまで大地女神・堅牢地神・吉祥天と関わる性格が論じられてきたものの(注13)、本儀軌に記される「歓喜天」すなわちガナパティとしての性格が積極的に追究されることはなかった。確かに、西域に起源を有する毘沙門天脚下の単独の地天については大地女神や吉祥天との結びつきが深く、そこにガナパティとしての性格を認めることは躊躇される。一方、地天の両脇に二鬼がつけ加わったのは中国においてであったとされ(注14)、この中国で成立した地天・二鬼のうちの地天についてはガナパティとの結びつきが想定される。つまり、中国において西域に起源を有する地天にガナパティが重ね合わされ、その両脇に二鬼がつけ加えられた結果、「三夜叉鬼」中央の「地天」の別名を「歓喜天」と説く本儀軌のような中国製の偽経が成立したと考えられるのである。ガナパティは一般に象頭人身の姿で表されるが、本儀軌と同一著者による撰述の可能性が彌永氏によって指摘される般若惹羯羅撰述『聖歓喜天式法』には美女形の「月愛歓喜天」が説かれており、すでに女神形や天女形として確立していた毘沙門天脚下の地天に中国でガナパティが重ね合わされたとみることも不当ではなかろう。このように毘沙門天脚下の「三夜叉鬼」中央の「地天」に除障礙神のガナパティとしての性格を認めるとき、その両脇に随従する「尼藍婆」・「毘藍婆」はガナパティの慈善根の力によって歓喜心を生じた善きヴィナーヤカと解されるのではないだろうか(注15)。尼藍婆・毘藍婆がガナパティを主とする善きヴィナーヤカであった可能性について、ここでは尼藍婆・毘藍婆の葉状に広がり長く垂れた耳、毘沙門天を見上げる視線、膝を地に着けて坐る跪坐の坐法、両手を胸前で交差する手勢や印相といった特徴から検討していきたい。第一に、尼藍婆や毘藍婆の葉状に広がり長く垂れた耳については、象耳を表したものと考えられ、象頭のガナパティの特徴として理解される。こうした象耳は、中国の作例ではギメ美術館蔵《釈迦如来・兜跋毘沙門天・弁財天・吉祥天》〔図6〕や資中― 171 ―

元のページ  ../index.html#182

このブックを見る