鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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重龍山石窟第五八号毘沙門天王龕〔図7〕、安岳石窟円覚堂第六五号毘沙門天王龕など(注16)、日本の作例では醍醐寺蔵《四種護摩本尊及眷属図像》中の毘沙門天図像や東寺宝物館毘沙門天像、石山寺毘沙門天像などの尼藍婆や毘藍婆に確認できる。一方、四天王脚下の邪鬼などには象耳の例がなく、こうした象耳が尼藍婆・毘藍婆に特有のガナパティに由来するものであったことが窺われる。第二に、尼藍婆・毘藍婆の毘沙門天を見上げる視線や跪坐の坐法については、『陀羅尼集経』巻第八に説かれる「鬼王」やフランス国立図書館蔵《毘沙門天像および眷属》(P4518(27))〔図8〕に描かれるガナパティとの類似が注意を引く。『陀羅尼集経』所説の「鬼王」は象頭人身で蘿蔔根と歓喜団を執ることからガナパティと解され、軍荼利明王の左足首の下で「膝を屈して跪坐す。頭を挙げて上を向き像顔を瞻仰す。」(注17)と説かれる。また、フランス国立図書館本のガナパティは象頭人身の姿で合掌し、右膝を地に着けて左膝を立てた互跪と思われる坐法をとり、地天に支えられた毘沙門天を瞻仰している。これらのガナパティは主尊を瞻仰して礼拝の意を表す跪坐の坐法をとることから(注18)、帰依の意を表したヴィナーヤカ王のガナパティとして理解される。同様に、瞻仰・跪坐して地天に支えられた毘沙門天への帰依の意を表す尼藍婆・毘藍婆にも、こうしたガナパティを主とする善きヴィナーヤカとしての性格を認めることができるものと思う。第三に、九世紀の日本に請来・受容された尼藍婆・毘藍婆の両手を胸前で交差する手勢については(注19)、ネパールなどで金剛手の従者とされる蘇婆呼童子の手勢との関連が示唆されている(注20)。頼富本宏氏によれば、蘇婆呼は「妙臂」と意訳され、腕を組み合わせて従順の意を表すことを意味し、こうした手勢はインドの不空羂索観音やガンガー女神などの従者にも確認されるという(注21)。このように両手を胸前で交差する手勢は主尊への従順の意を表すものと考えられ、こうした手勢の尼藍婆・毘藍婆にも地天に支えられた毘沙門天への従順の意を認めることができると思われる。ただし、インドにおけるこうした手勢の諸尊が第一~五指をすべて伸ばす印相である点には、注意する必要があろう。というのも、両手を胸前で交差する尼藍婆・毘藍婆の印相には、①第一~五指をすべて伸ばす印相、②第一・二・三指を伸ばして第四・五指を屈する印相、③第二・三指を伸ばして第一・四・五指を屈する印相という三種類が確認されるからである。このうち、①については先学の指摘するように従順の意を表す印相と考えられるものの、②・③については従順の意に加えて除障礙の意を表す可能性がある。②の印相名については現段階で特定に至っていないため今後の課題としたいが、③については刀印とみることができる。刀印は第一指で第四・五― 172 ―

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