指の関節の上を押して第二・三指を直立させる印相で、辟除結界と関わる性格を有する。こうした刀印と歓喜天との関連を示すものに、先述の『聖歓喜天式法』がある。『聖歓喜天式法』は、刀印を結んだ両手を腰に収めた「議特歓喜天」を天盤の北方に配し、これに対応する地盤の北方には「毘沙門天」を配すると説く。つまり、北という方角によって、刀印を結ぶ歓喜天と毘沙門天が結びつけられているのである。輸波迦羅訳『蘇悉地羯囉経』は北方から大薬叉と女薬叉が来て行者を悩乱させる障礙を「多聞天王難」と説いており、毘沙門天とともに北方に配された「議特歓喜天」の結ぶ刀印にもこうした障礙に対する破邪の意があった可能性が考えられる。『聖歓喜天式法』が『摩訶吠室囉末那野提婆喝囉闍陀羅尼儀軌』と同じ著者による撰述であるとすれば、尼藍婆・毘藍婆の結ぶ刀印にもこうした除障礙の意を認めうるものと思う。これら従順や除障礙の意を表す尼藍婆・毘藍婆の手勢や印相は、歓喜心を生じて障礙を作らなくなった善きヴィナーヤカの性格を示すものと解されよう。このように、尼藍婆・毘藍婆の象耳、毘沙門天を見上げる視線、跪坐の坐法、両手を胸前で交差する手勢、刀印を結ぶ印相には、ガナパティを主とする善きヴィナーヤカとしての性格を認めうるのである。以上、歓喜天とも称された毘沙門天脚下の地天がヴィナーヤカ王のガナパティであり、その両脇に従順や除障礙の意を表して随従する尼藍婆・毘藍婆がガナパティの慈善根の力によって歓喜心を生じた善きヴィナーヤカであったと考えられることを論じてきた。こうした理解が正しいとすれば、新図様における地天・二鬼は善きヴィナーヤカとして九世紀の日本に受容されたということになろう。新図様の毘沙門天の請来・受容に深く関わった空海は、『続遍照発揮性霊集補闕抄』巻第九「高野建立壇場結界啓白文」の中で「此の伽藍の東西南北四維上下にして、所有一切の正法を破壊せむ毘那耶伽、諸の悪鬼神等の皆悉く我が結界の処七里の外に出で去れ。若し正法を護らむ善神鬼等の我が仏法の中に利益有らむ者は、意に随って此の伽藍に住して仏法を防護せよ。」(注22)と述べ、正法を護る善神鬼等については伽藍にとどまって仏法を護るよう命じている。当該箇所が『陀羅尼集経』巻第四に依拠することを踏まえるならば、『陀羅尼集経』に基づく東寺講堂多聞天像の脚下に空海によって新たにとり入れられた地天・二鬼も、こうした伽藍内にとどまることを許された仏法を護る善神鬼、すなわち善きヴィナーヤカであったと考えられるのではないだろうか。― 173 ―
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