1.研究動向と問題の所在⑰プッサン作《大ヤコブの前に姿を現す聖母》─ローマにおける大型祭壇画への取り組み─研 究 者:京都産業大学・京都市立芸術大学・尾道市立大学 非常勤講師1624年にローマに移り住んだニコラ・プッサン(1594-1665年)は、1628-29年にサン・ピエトロ聖堂のために《聖エラスムスの殉教》〔図1〕を制作した。そのほぼ翌年には《大ヤコブの前に姿を表す聖母(以下、聖母の出現)》〔図2〕を描いている。後者の注文主は不明だが、301×242cmの画面に柱上の聖母と大ヤコブが表されており、祭壇画として描かれたと推測されている。画家はこの二作品以降、ローマで祭壇画を受注することはなかった。そのため両作品は、彼がいわゆるバロック様式に傾倒した例外的作例として言及されてきた(注1)。だが近年、両作品の様式や画面構成、感情表現を、同時代美術と関連付けて積極的に論じる研究も出てきている(注2)。筆者もこの傾向に賛同するが、そもそも両作品に関する基礎研究が不足しているのは問題だと思われる。そこで2015年に《聖エラスムスの殉教》の注文状況や図像等を丁寧に検証した。その結果、彼の作品には珍しい対角線構図や力強い人物像が、教会からの指示やバロニウスの著作等に示唆を得たものだと判明した(注3)。そこで本研究では《聖母の出現》を取り上げ、基礎的な調査を行うことにした。2015年にローザンベールが先行研究と来歴を網羅的に紹介したことは大きな進展だが(注4)、図像に関してはより詳細な分析が必要である。本稿では紙幅も限られているため、図像と典拠を検討し、最後に制作状況について考察を加えることにする。2.《聖母の出現》の概要まず、伝記作家ベッローリの記述を引用しよう。同じ頃、[プッサンは]フランドルのヴァランシエンヌに[送るべく]、柱の聖母の絵を描いた。この作品は聖母被昇天と使徒を表しており、彼の筆による称賛すべき作品である。(注5)この一節の直前に1629年完成の《聖エラスムスの殉教》、直後には1631年に支払いのあった《アシュドドのペスト》(パリ、ルーヴル美術館)の説明があることから、― 179 ―倉 持 充 希
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