フェレルの『聖ヤコブの物語』(マドリード、1610年)の一部を引用しよう。祝福された使徒の聖ヤコブは、夜半に休息を取るため、弟子たちとエブロ川の岸辺へ向かった。岸辺には藁などの不要なものが捨てられていたが、彼らはそこで眠りについた。その後も、人々の妨害や異教徒からの嫌悪や怒りを避けながら祈りを捧げた。数日後の真夜中のこと、他の弟子たちは眠っていたが、祝福された聖ヤコブは敬虔なキリスト教徒たちと共に瞑想し、祈っていた。そのとき「恩寵に満ちたるマリアよ」と歌う天使たちの声を聞いた。そして栄光の聖母のための朝課の招詞が始まった。彼がすぐさま地面に跪くと、我々の贖いのキリストの母マリアが幾多の天使の歌声に包まれ、大理石の柱の上におられるのを目にしたのである。(注18)現れた聖母はヤコブに柱を指し示し、この場所に聖母のための祭壇を設けるよう命じた。彼は喜びに満たされ、聖母子に感謝を捧げたという。この物語が示す通り、上述の版画では右上に真夜中を示す月がのぞき、背景にはサラゴサの街と思われる建物が表される。さらに右手前に描かれる水の流れは、エブロ川と理解されよう。弟子の人数が版画では9人、プッサン作品では7人なのは、『黄金伝説』の記述を反映したものと思われる。同書では「この地[スペイン]で得た弟子はわずか九人にとどまったので、そのうちのふたりを伝道のためにスペインにのこし、あとの七人をつれてユダヤへ帰った」と記されるからだ(注19)。サラチェーニは典拠に忠実な場面設定を行うと同時に、柱には十字架を刻み、ヤコブの胸には帆立貝を付けるなど、主題の判別を容易にする要素も忘れていない。この明快な図像に照らすと、プッサンが先例を踏まえつつ、いかなる工夫を行なったのが浮かび上がってくる。画家はまず後景の描写を排し、弟子の背後に岸辺の木立を配することで、非常に浅い空間を作った。さらに柱の背後に回り込む弟子や柱の前で平伏する弟子を描き、聖母と人々との視覚上の距離を縮めている。そして敢えて月を描かずヤコブのみに強い光を当てることで、聖人の敬虔な身振りや感情表現を際立たせたのである。このように狭い空間に聖母とヤコブ、さらに弟子を効果的に配置するためにプッサンが注目したのが、前述のカラヴァッジョとカラッチの祭壇画〔図3、4〕だったのではないだろうか。特に後者は、大人物が最前景から中景にかけて重なり合いながら配置される点で、プッサンにひとつの解決法を示したと推測される。― 182 ―
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