鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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4.1620年代末のローマの状況カラヴァッジョ作品からの引用と言われる最前景の弟子については、地面にひれ伏す姿勢を取らせることで前景の空間を巧みに活用している。なお先行研究では、この人物が身を投げるという大仰な身振りを取ることから、道徳的に劣位にある存在と解釈された(注20)。だが、彼が我々に足の裏を見せる点に注目したい。前述の《ロレートの聖母》に関する近年の研究により、当時ロレートを巡礼した信者が裸足で聖地を詣でており、裸足は神への服従を表すことを明らかになった(注21)。プッサンもこの表現を自作に導入することで、鑑賞者に謙譲の意を汲み取ることを期待したのではないだろうか。平伏が祈りの姿勢である点も考慮すれば、恐らくこの人物像に否定的な含意はなかったと考えられる。以上のように、プッサンはサラチェーニの作例を踏襲しながらも、聖母とヤコブたちの対面をより劇的に表現すべく聖母の周囲に人物を集めた。それでも聖母の神聖さが損なわれて見えないのは、風をはらむヴェールの描写によるところが大きい〔図9〕。フュマロリはこれを「霊/息吹(Pneuma)」と称していたが(注22)、この表現は、両者の存在の次元を区別しつつ聖母と使徒を最接近させ、緊迫感のある場面を作るための仕掛けでもあったのである。画家は既に《十字架を持つ洗礼者ヨハネのいる聖家族》〔図10〕において風になびく聖母のヴェールを描いており、このモティーフに何らかの興味を抱いていたようだ(注23)。今後さらなる検討が必要であるが、ここでは着想源の候補としてラファエロ《サン・シストの聖母》〔図11〕を挙げておく。この作品では諸聖人の前に現われた聖母のヴェールが風を受けており、プッサンが幻視を描くための造形言語をラファエロから学んだ可能性もあるだろう。さて、伝記作家は本作品がヴァランシエンヌに送られたと記すが、それを裏付ける史料はない。当時スペイン治下の低地地方は三十年戦争に巻き込まれており、当地の教会関係者がフランス人画家を登用するとは考えにくいため、ローマ滞在中の一般のスペイン人による注文品と推測されてきた(注24)。本稿では画家の制作拠点であるローマの状況に着目し、制作背景について考察を試みたい。スペインは長らく教皇庁に対して強い影響力を保持してきたが、1623年に親フランス派のウルバヌス8世が即位したことでフランスが勢力を強め、両国間の対立は深まった(注25)。それにも拘らず、プッサンがスペインの聖人伝に基づく大型作品を受注できたのは、まず《聖エラスムスの殉教》が好評を博したからだと考えられる(注26)。さらに本稿では、この作品の注文が充分妥当なものであった可能性を検証し― 183 ―

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