⑱初期雲堂手の様式的特徴について研 究 者:一般社団法人霞会館 学芸員 金 原 さやこはじめに本研究は、明代中期の青花磁器(以下、青花と表記する)について、「雲堂手」と称される陶磁器を考察対象とする。特に正統・景泰・天順年間(1436~64)の景徳鎮民窯に焦点をあてる。この時代は磁器制作の実態があまり分かっておらず、文献上には窯の焼造記録が残っているが、この三朝の年款銘を記した伝世品が残っていないことから研究が難しく曖昧なままにされてきたという状況が考えられる。近年、景徳鎮正統年間の地層から、大量の青花(雲龍文)が発掘されたとの貴重な報告があり(注1)、さらなる研究の進展が期待されている分野でもある。雲堂手は、この時代に分類されているものが多いが、その理由づけについては少なからず曖昧なまま現在に至っているのが実情である。筆者はこの点に着目し、雲堂手を軸に当該時代の青花の様式的特徴を考察していきたい。1、雲堂手とは一般には、明代景徳鎮民窯で焼かれた青花のうち、器面に雲と楼閣が簡略に絵付けされたものを日本の茶人たちが珍重した陶磁器を指し、別名「雲屋台」ともいう。ただし、雲堂手に分類される陶磁器をみると、次の二つの異なる特徴が挙げられる。①小型の碗などに簡略な筆致で雲と楼閣人物文様を表した青花〔図1、5〕。②大型の壷に同様の文様が精緻に描かれた青花〔図2、3〕。日本で主に茶陶として受容されたのは①で、②は①に先行して制作された可能性があることから「初期雲堂手」と呼ばれている。この初期雲堂手を含めて「雲堂手」と総称しているのだが、これは日本での呼称であり、中国では明代中期15世紀代の陶磁器と捉えられている。中国国内では雲堂手と似た文様のある明代青花が多数伝世、発掘されており、15世紀代と推定する一つの手がかりになっているようである。「初期」を含むいわゆる雲堂手タイプの青花は、これまで制作時期に幅があることが指摘されてはいるものの、編年立てまでは行われていない。基準となる紀年銘のある雲堂手がないことも要因と思われるが、中国での考古調査によって同時代の紀年墓の発掘が進み、雲堂手の手掛かりとなる資料が次々と明らかになっている。このような出土資料も考察対象とすることは、雲堂手の様式変遷を明らかにする有効な手段であると考える。― 190 ―
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