鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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3、元青花「元青花」と呼ばれる青花磁器は、元代(1279~1368)後期の至正年間(1341~1370)に景徳鎮窯で最もさかんに制作された陶磁器のことをいう(注6)。イスラム圏のコバルト顔料と、すでに絵付けを施した鉄絵(陶器)を制作していた北方の磁州窯、景徳鎮に隣接する吉州窯などから人員及び技法を取り入れ、青花として完成させたことで知られる。青花の始源については様々な研究があるが、元代になって完成したことは確かで、至正11年(1351)の銘がある青花大瓶をもとに、「至正様式」として大型で文様構成に類似点がある一群が確認されている(注7)。現存品がイスラム圏で多く確認されていることや、大型作品が多いのは、イスラム圏の需要に応えるものとして生産されたということが分かっている。その一方で、国内でも需要があったようで、当時流行していた元曲(雑劇)の一場面として人物故事図を描いた壺〔図4〕、碗、瓶などはイスラム圏では少数となっている。これらの制作背景には、文人層や公的な地位を辞した人々の存在があったことが指摘されている(注8)。以上の点を整理すると、雲堂手という名称はいつ、誰によって命名されたのかは判然としないものの、日本固有の呼称であり、茶人達の間でもてはやされたことから彼らが名付けた呼び方であることが確認できた。また、茶人らに珍重されたのは、雲や楼閣の表現を大幅に簡略化したもので、それらを雲堂手と称していたということ。そして、明代初期の景徳鎮窯には、雲堂手の特徴である雲、楼閣、人物などが描かれた一群の青花が多数あり、それらを「初期」雲堂手として様式上まとめられていることが分かった。では、先行する元青花にはどのような特徴があるのだろうか。元曲の隆盛は、当時、絵入りの版本が流布していたことからも分かるが、元青花の人物意匠・背景などもそこからの引用であったことが指摘されている(注9)。元曲の主題が判明している元青花には、「細柳営」・「岳陽楼」・「西廂記」などを描いたものがあり、また当時流行した小説『三国志演義』の場面を描いた作品も知られている。このような人物故事図が描かれた元青花は、器面を画巻に見立てて、絵画を描くように筆彩を施している。とりわけ、壺、碗、瓶という3次元の立体物に効果を発揮し、それはまるで回り灯籠のようでもあると指摘されており(注10)、そこに元青花の創造性が看取される。元青花を構成する要素は第1に器形にある。特に至正様式の元青花は大型で胎が厚く、どっしりとした重量のあるものが多い。第2は絵付けに写実性が追求されたこと― 192 ―

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