鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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場面の区切りとしてではなく、空を漂う雲を表現しているものである〔図2〕。・楼閣人物文とともに描かれる例が多い。鉄絵、青花といった絵付け陶磁が主流になると、主文様の画題の一部としてしばしば登場するようになった。盤などの平面が主体の器形にはあまり確認されず、碗や壺の胴部(主文様)に絵付けされているものがある。楼閣は描き方の精粗にばらつきが出やすい文様で、初期雲堂手の楼閣〔図3部分〕と雲堂手の楼閣〔図5〕には明らかな違いがある。初期雲堂手では、建物を強弱のある線、濃淡によって細部まで描写しているが、雲堂手は簡略化が進み、楼閣をきっちりと描くことは重要視されず、雲形の動きと呼応するような今にも動き出しそうな勢いのある楼閣を描きだしている。雲堂手は、このような簡略かつ即興性のある飄逸な画風を持ち合わせていたために日本で茶人に好まれたのだろう。・人物人物を描いた陶磁器が多くみられるようになるのは、元青花以降である。それには、中国陶磁の発展が関係していると考えられる。青花より先に誕生した青磁、白磁は、絵付けではなく彫文様によるもので、表現する文様も絵付けに比べ制限があったのである。そのため、人物図といった絵画的な描写が求められる図様は、あまり制作されてこなかったという事情が考えられる。宋代を代表する民窯である北方の磁州窯では、技法が描き落とし(彫文様)から鉄絵(絵付け)へ移行した変遷があり、筆による表現が始まるとともに、人物図が多く描かれるようになったのである。景徳鎮窯でも磁州窯と同様の変化が起こり(景徳鎮では鉄絵ではなく青花)、元青花や明代青花には人物を配した図様が多数確認される。初期雲堂手に見られる人物図は、上記の雲、楼閣とともに描かれるのがほとんどである〔図3部分〕。しかし雲堂手では省略されることが多い。雲堂手のような即興性のある筆描では人物は省略されてしまうことが多いようである。人物を描かなくても、楼閣を描くことで結果的に人物の存在を想起させているのである。元青花の人物図の場合、その典拠には戯曲や故事図があることは先に述べた。では初期雲堂手ではどうだろう。正統から天順年間(15世紀)にかけて制作されたとされる初期雲堂手を確認したところ、元曲『三国志演義』の関羽と曹操が描かれたものや、仙人図、琴棋書画図、仕女図、嬰戯図といった主題が多いことが分かった(注17)。一方では、画題が不明なものや初期雲堂手と雲堂手の様式を持ち合わせたもの、つまりどちらとも判断できないような青花も存在する。それらを初期雲堂手からの過渡期の作品と位置付けるのには、まだ周辺資料が十分ではないようである。― 195 ―

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