注⑴劉新園「景徳鎮の早期墓葬発見の磁器と珠山出土の元・明官窯遺物」『皇帝の磁器─新発見の初期雲堂手の一群は、正統から天順年間前後の作品と位置付けられているが、それらは特に景泰から天順年間にかけて造営された紀年墓からの出土品の中に、雲堂手様式、もしくはその類品が見られるのである。雲堂手とは日本での呼称のため中国では区別して論じていないが、出土品をみると多くが雲堂手様式の特徴を備えており、正統から天順年間の青花磁器を代表する様式ということができる。雲堂手と一括りにしても、精緻な筆づかいのものもあれば、簡略化された図様で軽い筆づかいのものもある。また、日本で茶道具として愛好された雲堂手は、簡略化された作品群を指すことも確認できた。ではなぜ雲形・楼閣・人物を基本のセットにした文様が制作され続けたのか、それは元青花の様式が規範にあると考えられる。まとめ本稿では、初期雲堂手について正統から天順年間の作品として取り上げたが、それ以前の永楽、宣徳年間の作品にも雲、楼閣、人物の3つの要素を持ったものが散見されており、初期雲堂手の始まりを考える上で重要な点と考えられる。また、雲堂手の日本での受容について、日本側の資料(茶会記等)にも目を配ることも必要である(注18)。雲堂手は、茶人に愛好されたという点で、古染付、祥瑞といった明代後期に日本からの注文に応じて制作された青花と共通している。しかし雲堂手は、明代中期の景徳鎮において定着した様式であったこと、それを日本の茶人が好んだということは、今後留意するべき点である。本研究をもとに、引き続き同時代の金銀器、漆器、絵画などと比較検討を行っていきたい。陶磁器は、金銀器から大きな影響を受けており、雲文様と比較することは有効である。絵画は、戯曲の挿絵や八仙図、琴棋書画図等の画題に類似が認められるなど、雲堂手の特徴を捉えるうえで欠かすことのできない比較対象である。文様の具体的な比較検討、分類を行うことにより初期雲堂手を軸とした正統から天順年間の青花の変遷を明らかにすることも可能ではないかと考えている。景徳鎮官窯─』出光美術館他、1995年、12、13頁⑵藤岡了一『陶器全集第11巻 元・明初の染付』平凡社、1965年、17、18頁⑶藤岡了一『陶器大系42 明の染付』平凡社、1975年⑷中沢富士雄編著『中国の陶磁8元・明の青花』平凡社、1995年⑸前掲注⑷― 196 ―
元のページ ../index.html#207