鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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図版出典図2 出光美術館『中国陶磁のかがやき』2004年、29頁より図3 東京国立博物館『染付 藍が彩るアジアの器』2009年、39頁より図4 出光美術館『中国陶磁のかがやき』2004年、23頁より図5サントリー美術館『乾山見参』2015年、101頁より⑹青花とは、白磁にコバルト顔料を用いて筆により文様を描き、釉薬をかけて高温で焼成し、白地に藍色の文様を表す技法で、日本では染付と呼ばれる。元時代後期に江西省景徳鎮窯において完成された後、中国陶磁の装飾は絵付けが主流となった。元青花の登場は中国陶磁史上最も大きな転機とみることができる。⑺佐々木達夫編『中国陶磁 元青花の研究』高志書院、2015年 日本を中心とした国内外の執筆者による論考集である本書は、元青花をめぐる諸問題(誕生、社会背景、描かれる文様、編年など)を様々な視点から多角的に論じており、日本における元青花の最新の研究書と捉えられる。⑻方李莉『景徳鎮民窯』人民美術出版社、2002年、47頁⑼斉藤菊太郎「元代染付考(上)」『古美術』18、三彩社、1967年、23~33頁⑽今井敦「東洋の染付の諸相」『染付─藍が彩るアジアの器』東京国立博物館、2009年、9頁⑾前掲注⑻⑿『藍白輝映─院蔵明代青花瓷展』國立故宮博物院、2016年、117頁 本書では洪武~宣徳年間(1368~1435)までを明代初期、正統~正徳年間(1436~1521)を明代中期の括りとして、時代ごとの青花の変遷を展観した。なお、雲堂手という呼称は用いていない。⒀前掲注⑻、60頁のなかで、『明英宗実録』巻23に該当の記述があることが指摘されている。⒁蔡傳「南京牛首山弘覚寺塔内発現文物」『文物参考資料』1956年第4期⒂欧阳世彬、黄云鵬「介紹両座景泰墓出土的青花釉里紅瓷器」『文物』1981年第2期⒃景徳鎮市陶瓷考古研究所「景徳鎮発現大量明正統官窯瓷器」『光明日報』1998年 また、明代景徳鎮民窯の一つ湖田窯からの出土報告では、雲堂手の香炉が出土しており、以下の報告に詳しい。劉新園「景徳鎮湖田窯考察紀要」『東洋陶磁』VOL.12.13、東洋陶磁学会、1985年⒄前掲注⑵⒅中路のぶ代「茶の湯における中国青花(染付)磁器受容の様相」『東洋陶磁』VOL.44、東洋陶磁学会、2015年― 197 ―

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