『老おやぢ爺』それは最さいぜん前の武ぶし士でありました、周あはたゞし章く『はい』老ろうや爺は居いずまゐ住居を直して、恭うや〳しく挨あいさつ拶をしやうとする時とき、彼かの武ぶし士は忙いそがはしく前ぜんご後を見みまは廻して『これへ出でろ』編あみがさ笠も取とらず、何なんの用ようじ事とも言いはず、小こてまね手招きするので、巡じゅんれい禮の老ろうや爺は、怖おそる『はい、何なんぞ御ごよう用でござりまするか』小こごし腰を屈かがめて、進すゝみ寄よると『彼あつち方へ向むけ!』この聲こえ諸もろとも共に、パッと血ちけむり煙が立たつ、何なんといふ無むざん残な事ことでせう、老ろうじゅんれい巡禮は胴どうから腰こしぐるま車を落おとされて、呀あつといふ間まもなく、胴どうたい體全まったく二ふたつになつて青あおくさ草の上うへに俯のめ伏つてしまひました冒頭の老巡礼殺しの理由は、作中最後まで語られることがない。『大菩薩峠』では、自分からは決して打ちかからずに相手が出るのをひたすら待つという、世界への受動的姿勢を核にした「音無しの構え」をたずさえた龍之助を軸にしつつ、その理由なき殺人を機縁とする多彩な作中人物たち(御嶽神社の奉納試合で龍之助に殺された宇津木文之丞の弟兵馬、老巡礼の孫娘お松、彼らを助ける盗賊七兵衛ら)の離合集散の相が、曼荼羅図のようにして描かれていくことになる。〔図1〕連載開始前日に『都新聞』に掲載された前口上には、「劔けんはふ法の爭あらそひより、兄あにの仇あだを報むくゐんとする弟おとうと、數すうき奇の運うんめい命に弄もてあそばるゝ少せうぢよ女、殊ことに一夜やに五十里りを飛ぶ凶きょうぞく賊の身みの上うえ甚はなはだ奇きなり」と記されていたが、作者介山は執筆当初、龍之助が自らの所業の報いをうけて仇討されて終わるという勧善懲悪のプロットを念頭においていたようである。だがそのプロットはしだいに解体され、変容をとげていく。龍之助のあり方に体現されていた受動性が、仇討に象徴される善悪の理路には解消しえないほどに広く、深いものであることが、執筆過程を通じて作者自身に開示されたからである。龍之助の老巡礼殺しに理由はない。その理由のなさに何をみて、何を思うかは、作者と読者のまったき自由にゆだねられることになる。2 「変貌」する机龍之助『大菩薩峠』の前半部では、失明して漂泊遍歴を重ねる机龍之助と、彼を敵とねら― 202 ―
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