円相とそれをはみだすものの対照の、『大菩薩峠』作中における一つの端的な表現は、仇討の無意味を説く禅僧慢心和尚と、古今の悪女たちの霊を呼び寄せるためにお銀様が建造を命じるグロテスクな悪女塚の描写である。慢心和尚の面は、「ブン廻しで描いたほどにまんまるく、眉と目は、細く霞のように上底の一部に棚曳き、鼻は、ほんの申しわけに中央に置かれ、その代わり比倫を絶して大きいのはその口と唇で、大袈裟にいえば、夜具の袖口ほどあります」と描かれる(「無明の巻」)。一方悪女塚は、「巨大な、どんよりとした眼が、パッカリと二つあいていて眉毛は無い」、「鼻との境が極めて明瞭を欠くけれども、口は極めて大きく、固く結んだ間へ冷笑を浮ばせている。頭から顔の輪郭を見ると、どうやら慢心和尚に似ているが、パッカリとした眼は、誰をどことも想像がつかない」と表現される(「年魚市の巻」)。円相は、自身のカルマ(業)を認識し、自己救済を信じようとする境位の産物であるが、信じたくとも信じられない懐疑の念が、人間には残されうる。その部分を動因としたカルマへの抵抗の力動を介山は「遊戯の波」とよび、その形象化を小説のなかで試みたのである。昭和3年(1928)に青山会館で行った講演「著作心の宣伝─小説『大菩薩峠』について」のなかで介山は、著作というものはある意味で読者が書くものであり、自分がやっていることは読者の前に「白紙」をさしだすことだとのべている。「遊戯の波」とは介山にとって、この─作者と読者にともに開かれた─「白紙」に描かれていくことになる、夢の力動ともいうべきものだった。終わりに─無明と夢見の弁証法『大菩薩峠』の作者介山にとって「図像的なもの」とは、ホッブズ『リヴァイアサン』の口絵(エンブレム)の分析を通して「哲学的図像学」の可能性を探ったジョルジョ・アガンベンの言葉を借りれば、作品の内容全体を一つのイメージへと集約するものだった(注12)。白骨籠り以後の机龍之助は、自らがそこにいないことによっても、もしくは自らがそこにいないことによってこそ、自らが「あること」を表現する、という不思議なあり方を示すにいたる。『大菩薩峠』に課せられていたのは、「ないこと」の像化(図像化)というパラドキシカルな要請だった。テーブルの上にりんごがのっている絵があるとする。そこからりんごをとると、テーブルの絵にはなるが、「りんごがないこと」の絵にはならない。一枚の絵(イメージ)では、何かが「あること」を描くことはできるが、それが「ないこと」を描くことはできない。「ないこと」を像化することは、言葉のみがよくなしうることである(注13)。― 207 ―
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