⑹ 「創作と挿絵の問題」、『中里介山全集 20』筑摩書房、1972、360-361頁⑺ 足立巻一・鶴見俊輔ほか著『まげもののぞき眼鏡』旺文社、1981、105頁⑻ 『中里介山純粋箇人雑誌 峠』第一号、復刻版、不二出版、1987、45頁。引用に際して漢字仮名遣いは現代表記にあらためた。このくだりは、東京美術学校を卒業し、日本美術院で学んだ石井の経歴を意識したものである。⑼ この傾向は、「介山の主張は著作権意識のあらわれとしては、おおいに評価されるが、しかし挿絵家の著作権を尊重する面では欠けたところがあった」と述べる尾崎秀樹の論考「挿絵問題の紛争」(『中里介山』勁草書房、1980に収録)以来定着したものと考えられる。以後、この対立の検討に際して文学者としての介山の観点に内在する接近法は影をひそめるようになった。介山の主張に理を認める多田道太郎の一文は、例外的である(「解説」、『中里介山全集 17巻』筑摩書房、1971所収)。⑽ 図録『中里介山「大菩薩峠」の世界』(山梨県立文学館、2003)、18-25頁に現存する全頁が収⑾ 養老孟司『身体の文学史』新潮社、2010。この亀裂の史的背景には、ポーツマス条約締結後の日比谷焼討事件(1905)が示した国家と国民の分裂を指摘しうる。大衆文学の嚆矢とみなされる介山が、講和反対を唱える焼討の群衆に深い恐怖心を抱いていた事実は、『大菩薩峠』の成立を考えるうえで重要な意味をもつ。⑿ ジョルジョ・アガンベン『内戦─政治的パラダイムとしての内戦』(高桑和巳訳、青土社、2016)の「二 リヴァイサンとビヒモス」。アガンベンは述べている。「研究がいくつかの異なる学問分野の能力の交差点に位置すると起こることだが、その任務と渡りあった研究者たちは一種の未知の土地を進むように思われる。その土地へと向かうには、一方の図像学の資源と、他方の、私たちの大学で教えられているあらゆる学問分野のなかでも最もおぼろげな、最も不明確な学問分野の資源とを繋ぎ合わせることが必要だというわけだろう。その学問とは政治哲学のことである。ここで私たちが必要としている知は、『哲学的図像学』とでも呼ぶことのできる学に関する知である。…今日の私たちはその最も基礎的な諸原則すら手にしていない」。⒀ 石田浩之『負のラカン』誠信書房、1992、31頁。ここで石田は、ジャック・ラカンに示唆を得つつ、言葉と絵(イメージ)の違いを「ないこと」(欠如、喪失、空虚、不在)を世にあらしめる表現力の有無にみる、卓抜な観点を提示している。厓さんに描いてもらいたいつもりでいたが、そうも行かない事情があって、特に口絵だけを頂戴することになった」(復刻版、2008、3-4頁、漢字仮名遣いは現代表記にあらためた)。「引き立られ」は、石井鶴三の挿絵観を意識した文言だろう。録されている。― 209 ―主要参考文献(本文および注で言及したものは除く)『中里介山全集』全20巻、筑摩書房、1970-72『石井鶴三全集 三』形象社、1986『峠 中里介山箇人雑誌』全7冊、不二出版、1986笹本寅『大菩薩峠中里介山』日本図書センター、1990『新潮日本文学アルバム37 中里介山』新潮社、1994『都新聞 復刻版』全28巻、柏書房、2000-2009加藤典洋『テクストから遠く離れて』講談社、2004
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