⑳グスタフ・クリムトの《法学》の素描に基づく様式及び作品分析に関する美術の研究研 究 者:名古屋大学大学院 文学研究科 博士研究員 前 田 朋 美1 はじめにグスタフ・クリムト(1862-1918)はオーストリアの文部教育省よりウィーン大学の講堂の天井画《法学》〔図1〕、《医学》〔図2〕、《哲学》(通称:学科絵)(注1)の制作を1894年に依頼され、作品の構想を始めた。1897年に各構想スケッチ(油彩・カンヴァス)〔《法学》図3〕に取り組み、翌年に3作品同時に依頼主に提出した後、転写スケッチ(チョーク、鉛筆、マス目付き用紙)の制作を経て《哲学》(1900)、《医学》(1901)の順に、途中《ベートーヴェン・フリーズ(以下、フリーズ)》(1902)の制作を挟み、《法学》(1903)が完成する(注2)。転写スケッチは完成作と同様に、《哲学》(1899)、《医学》(1900)、《法学》(1902/03)〔図4〕の順に制作されている(注3)。クリムトはこれらの作品に取り組んでいた1900年頃に自身の関心の変化に応じて繰り返し描き方を変え、学科絵《法学》においてその様式を確立した。本論では《法学》を研究対象とし、付随する準備素描の分析を通じてクリムトが制作に際してどのような造形的な問題に関心を持っていたのか考察する。学科絵の完成作、及び《医学》を除く他2つの構想スケッチは焼失しているために、本研究ではモノクロ写真を利用している。なお学科絵の各作品の最終版(1907)のモノクロ写真を完成段階、ないし完成図としている。2 先行研究の現状と問題点《法学》は研究対象として独立して考察されることはなく、画業全般を扱う際に学科絵3作品の1つとしてモティーフや構図について(注4)、あるいはモティーフの類似性から《フリーズ》に関する考察の一部として扱われる程度であった(注5)。《法学》の作品解釈は、作品が発表された1903年当時既にR. ヘヴェジによって試みられ、各モティーフの名称や大まかな性質が既定された(注6)。その後、ショーペンハウアーやニーチェ哲学を基に作品解釈が試みられ、その代表例としてC. E. ショースキーの考察が挙げられる(注7)。ショースキーは世紀転換期に生じた社会的な背景として自由自我を置き、それに対するクリムトの反応として特に学科絵論争を考慮しながら《法学》を含む学科絵、及び《フリーズ》の解釈を試みている。《法学》に関連する準備素描は、A.シュトローブルによって該当するモティーフに応じて素描集にて整理されている(注8)。しかしながらクリムトが《法学》を制作― 212 ―
元のページ ../index.html#223