鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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6 モダン・ダンスにおける身体言語とクリムトの描く感情気がつく。異なる描き方によって1人の女性を捉えることで上半身が紙面から少し浮かび上がり、それ自体に空間表現を伴っているような印象を観者に与える。クリムトのモダン・ダンスに対する造形面での受容が、彫刻のダンスへの取り組みを通じて、あるいは参考にして生じていた可能性が浮かびあがる。そしてこのような造形面へと関心を突き動かす要因が、モダン・ダンスが確立した身体言語であったのではないか、そのように考える。19世紀後半から20世紀初頭にかけてのヨーロッパにおいて、ダンスによる身体表現が言語に変わる表現手段として認識され、その役割を確立した(注21)。この表現手段は文学や哲学の領域に留まらず、造形芸術の分野にも生じており、それを良く示しているのがクリムトと同時代にジュネーヴで活躍し、スイスの象徴主義を代表する芸術家フェルディナント・ホドラー(1853-1918)である。ホドラーは、造形芸術と舞踏の領域において生じた表現豊かな言語として身体を捉えるという新しい力を通じて身振りやポーズの考察を始め、様々な感情を、身体を通じて表現すると同時に、モティーフやモデルに感情移入して描くことにも取り組んでいた(注22)。ホドラーの考える感覚や感情は、歓び、悲しみ、怒り、安らぎといった要素に留まらず、生、死、成長、病、老い、若さに代表される人間が人生において遭遇する様々な出来事、及び過程や状態をも含み、それは生と死という主題に集約される。このような主題は世紀転換期に生じた社会の転換や生活改革が関与しており、移ろいやすく、儚い、死という主題に相応する構成要素としての歓び、若さ、光という主題が確立する。生や歓びに関連するモティーフや主題は、新しい芸術上の趨勢と密接な関係にあった(注23)。モダン・ダンスが身体を通じて様々な感情や生や死といったテーマを表現しようと果敢に挑戦していく中で、クリムトもまた学科絵の制作に際して同様の主題に関心を抱き、モダン・ダンスとの接触を通じて身体言語による描写表現を追求したと考えられる。《法学》では法が人々を守り、輝かしい未来を作り出す社会制度としてではなく、処罰と復讐の権力、抑圧されていた女性の復讐に対する恐れ、性の欲望に対する復讐、そして法や秩序に対して本能が勝る、それを推進する芸術家としての使命を捨て去ることに対しての疚しさが表現されている点をG. フリードゥル、及びショースキーが指摘する(注24)。《医学》、《フリーズ》の何れも人物描写により人間が経験する多様な感情を表現していたが、《法学》においてもそれは同様である。しかし上述の2作品よりも人物の数が少なく、各人物像の描写も明瞭であるために人物像同士の― 217 ―

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