②バーネット・ニューマン─空虚/充実あるいは無の現前のパラドクス─研 究 者: 武蔵野美術大学 首都大学東京東京藝術大学 非常勤講師 沢 山 遼1.空虚/充実アメリカの抽象表現主義の代表的な画家のひとりであるバーネット・ニューマン(Barnett Newman、1905-70)は、1940年代を通じて、画家としてよりも戦闘的な書き手として知られていた。ニューマンが初の個展をベティ・パーソンズ・ギャラリーで開催したのは1950年のことであり、そのとき画家はすでに45歳だった。展示されたのはいずれも、平坦な色面に一本か二本の線が引かれただけの絵画である。そのときまでニューマンは周囲に職業的な画家としてすら認識されておらず、突発的に出現した絵画形式の異様さも相まって、彼の初個展はほとんど黙殺された。その二年前の1948年、43歳の誕生日に、ニューマンは、自身の「はじめての絵画」と呼ぶ作品を制作する。ニューマンはそのとき、表面を暗いインディアン・レッドで均質かつ平坦に整えた、比較的小さなカンヴァスの作品に取り組んでいた。画家は画面の中央からマスキング・テープを垂直に貼り渡し、その上から、画面の配色を試験的に検討するために明るいカドミウム・レッドの線をパレット・ナイフで塗りこめた。その作品はのちに《ワンメントⅠ》(1948)〔図1〕と名付けられる。ニューマンはそれ以前に、それとほぼ同じ構図をもつ《モメント》(1946)〔図2〕を仕上げていた。《モメント》には流動する大気の動きをほのめかす筆触の「ムラ」が付けられており、《モメント》と同様に、《ワンメントⅠ》においても、ニューマンは画面を大気的な「雰囲気(atmosphere)」で満たすことを想定していた。しかし、画面の真ん中をカドミウム・レッドの条線が貫いたとき、ニューマンはその絵画がすでに完全なものであることを悟る。カドミウム・レッドの垂直線は試験的に塗られたものであり、インディアン・レッドの色面は、調整された地塗りに過ぎないものだった。だが、ニューマンは制作を中断し、この絵画が意味することについて8、9ヶ月間研究した後、《ワンメントⅠ》はすでに完成された絵画であるという結論に至る。《ワンメントⅠ》以降、画面を貫く帯「ジップ」と静謐かつ均質な筆致で塗りこめられた色面「フィールド」の二つの要素からなる、ニューマン独自の方法が確立された。ニューマンはその経緯について回顧している。― 13 ―
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