鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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注⑴他に近年見出された彫刻作例として櫻本坊・大峯八大童子立像が挙げられる。『山の神仏』大鬼形の姿は他の熊野曼荼羅図に広く認められ、鉾と宝珠を執る童子と香炉と宝珠を執る童子はそれぞれ『諸山縁起』の後世童子と香精童子に合致しており、全く根拠無く描かれた図像とも考えられない。着甲姿の童子の宝剣と羂索は一般に不動明王の持物ではあるが、頭上に剣をあらわす童子と併せて信貴山縁起絵巻中の剣の護法童子を想起させる。西大寺本と同様、様々な図像の転用を想定すべきであろう(注25)。終わりに以上、大峯八大童子を手掛かりに吉野大峯に関わる絵画および熊野曼荼羅図を概観した。根本経典や儀軌を持たない修験道においては、文献史料と図像の検討がなされること自体が少ないが、本研究では『諸山縁起』を典拠に持つと考えられる作例を見出すことができた。また、西大寺本吉野曼荼羅図や聖護院本熊野本地仏曼荼羅図のように、図像の系統は異なるが『諸山縁起』や他の作例と部分的に図像が一致する作例も認められた。一見すると異なる系統の作例に図像の共有、あるいは転用が認められることは、相互の制作背景における思想的な繋がりを示唆するものと考えられる。加えて、大峯八大童子には密教図像に基づくと考えられる形姿も多く見出すことができ、修験道における密教の関わりを実作例から証左すると言えよう。紙幅の都合上、作例の概観に留まったが本研究で得られた図像の詳細を基に、今後作例の個別研究に及びたい。阪市立美術館・毎日新聞社・MBS、2014年⑵古記録における大峯八大童子については以下の文献を参照。小田匡保「大峰八大金剛童子考」『山岳修験』45、2010年3月⑶『大日本仏教全書148 私聚百因縁集・三国伝記』有精堂出版部、1932年⑷原本は宮内庁書陵部九条家旧蔵本。桜井徳太郎「縁起の類型と展開」『日本思想体系20 寺社縁起』岩波書店、1975年⑸川崎剛志「『諸山縁起』書誌攷」『就實語文』第25号、2004年12月⑹前掲注⑷『日本思想体系20 寺社縁起』⑺宮家準撰『修験道章疏 解題(復刻 修験道章疏別巻)』国書刊行会、2000年⑻首藤善樹編『金峯山寺史料集成』国書刊行会、2000年⑼松浦正昭「吉野・如意輪寺の蔵王権現像─新出の銘文と厨子絵吉野曼荼羅─」『仏教芸術』163、1985年11月⑽松浦正昭は如意輪寺厨子絵に関して、大峯八大童子の姿が『金峰山秘密伝』に一致すると述べる。前掲注⑼松浦論文。― 230 ―

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