図録『役行者と修験道の世界』大阪市立美術館・毎日新聞社、1999年 図録『増誉大僧正900年遠忌記念 聖護院門跡の名宝』龍谷大学龍谷ミュージアム・京都文化博物館・読売新聞社、2015年⑾ 中川光熹「日光山修験道史」『山岳宗教史研究叢書8 日光山と関東の修験道』名著出版、⑿ 田邉三郎助「不動明王像台座」『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇第四巻〈解⒀ 近藤喜博『金峯山秘密伝(東京国立博物館本)』解題、1969年⒁ 内田啓一『シリーズ権力者と仏教2 後醍醐天皇と密教』法蔵館、2010年⒂ 前掲注⑼松浦論文⒃ 秋山光和「「神於寺縁起絵巻」の復元と考察─いわゆる「光忍上人絵伝」をめぐって─」『日本⒄ 童子の身色に関しては原本と模本で異同が認められ、〔表2〕では原本で判明する童子につい⒅ 行徳真一郎「奈良・西大寺所蔵吉野曼荼羅図について」『MUSEUM』572、2001年6月⒆ 石川知彦「役行者前後鬼・八大童子像の系譜」『増誉大僧正900年遠忌記念 聖護院門跡の名宝』⒇ 小山聡子『護法童子信仰の研究』自照社出版、2003年 十二所権現を大きく描く国分寺の熊野本地仏曼荼羅図や本宮社殿を中心とした聖護院の熊野本地仏・宮曼荼羅図など、大峯八大童子を描かない作例も多い。熊野曼荼羅図に関する基礎的な研究は以下の文献を参照。中野照男「熊野曼荼羅図考」『東京国立博物館紀要』21、1986年3月 吉田麻里「熊野曼荼羅にみる熊野・金峯山・大峯信仰の関係について─大峯八大童子像を中心 吉田論文でも熊野曼荼羅図17件について八大童子は同様の図像を持つと論じるが、吉田の挙げる聖護院本地仏曼荼羅図や青岸渡寺本は図像の系統が異なっており、本論とは列挙する作例が一部異なる。前掲注吉田論文。 石田尚豊「熊野曼荼羅(聖護院蔵)」『日本美術史論集』中央公論美術出版、1988年 本図と構図が共通する作例に熊野那智大社の熊野本地仏曼荼羅図があるが、画面が切り詰められており八大童子の姿は確認できない。また、青岸渡寺本熊野本地仏曼荼羅図は、構図は異なるが八大童子の図像は聖護院本と同一とみられる。図版出典図1-8、10 筆者撮影図9、11 図12 1979年説〉』中央公論美術出版、2006年絵巻物の研究(下)』中央公論美術出版、2000年てのみ身色を表記した。龍谷大学龍谷ミュージアム・京都文化博物館・読売新聞社、2015年として」『女子美術大学芸術学科紀要』6、2006年3月本稿脱稿後に清水実「大峯八大童子についての一考察―特別展『蔵王権現と修験の秘法』からの報告―」、海老澤るりは「[史料紹介]櫻本坊 大峯八大童子立像」(『三井美術文化史論集』第9号、2016年3月)に接した。清水論文では如意輪寺厨子絵と『諸山縁起』の関係など本稿と論旨が重なる点も多く、示唆に富む内容である。また海老澤論文は本稿で触れなかった櫻本坊像に関する基礎的資料であり、併せて参照されたい。― 231 ―
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