鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
26/550

は、ニューマンが急逝した弟ジョージの死を悼んで制作した《輝きわたる(ジョージへ)》(1961)〔図3〕が与えるある特殊な効果について記述している。《輝きわたる(ジョージへ)》の、黒い絵具で塗られた箇所以外のすべての場所は裸のカンヴァス地が露出しており、画面左の細いジップと中央のより太い二本のジップはカンヴァスの表面に塗られたものである。一方、右側の白いジップは黒い筆触で縁取られ、キャンバス地そのものがジップとなる。つまり、この絵画では、実体的なジップと非実体的な虚のジップが並び合う。ジャッドは右側の白いジップについて「この白いストライプのポジションはきわめて両義的(ambiguous)である」と言う。なぜならそれ[白いストライプ]は、絵画の支持体と同じ表面であるからだ。白いストライプはほかの白いカンヴァス地と同じ場所にある。だが、それは下にあるのではなく、前に来るのである。絵画の表面全体が前方へと位置づけられる。もしこのような現象が生じないとすれば、黒いラインは、描かれたものが通常そうであるように、ただ、カンヴァスの少し前に位置するだけであり、ほかの地の部分は、少し後ろにあるだけだっただろう(注3)。[括弧内引用者]白いジップは、ロウ・カンヴァスの地そのものである─ゆえに絵画の階層としては黒い絵具層の下にあるにも拘わらず、視覚的には突出するように見える。白い虚のジップがもたらすこのような突出の効果によって、カンヴァスの表面に黒い絵具が載るという物理的現実に対し、白が黒よりも前に浮き上がるという視覚的効果が逆接する。結果、二つの出来事が均衡し、画面全体が一体化しつつ観者の側へと押し出される。おそらくジャッドはこのようなニューマンの方法に、自身の作品と同等の全体性の実現を読み取っている。ニューマンは図/地の階層の混乱を引き起こす視覚的イリュージョニズムを排除せず、むしろそれを活用することによって、実のジップと虚のジップとの等価性をつくりだした。実と虚の二種のジップは、物理的現実と知覚的現実にそのまま対応するべく併置されている。連作「十字架の道行き─なんぞ我を見捨てたもう」でニューマンはこれと同じ効果を繰り返し取り上げることになる。たとえばヘスは、「十字架の道行き」に見られるロウ・カンヴァスの地の虚のジップについて、周囲の地の部分よりもより白く見えると指摘している(注4)。ジャッドとヘスの見解をまとめれば、虚のジップは、カンヴァス地の実際を超えて視覚的に突出する効果を与え、さらにそれは周囲のカンヴァス地よりも白く「発光」する。その意味で、《輝きわたる(ジョージへ)》の題名― 15 ―

元のページ  ../index.html#26

このブックを見る