鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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注⑵に同じ 拙稿「鎌倉時代前・中期における仏像の金属製荘厳具─意匠形式の分類と制作事情を中心に〔謝辞〕年本研究の調査に当たっては、瀧山寺御住職・山田亮盛師から一方ならぬ御高配を賜りました。末筆ながら、ここに記して深甚の謝意を表します。解のために─」 『フィロカリア』29、2012年⑺斎木涼子「仁寿殿観音供と二間御本尊─天皇の私的仏事の変貌─」 『史林』91-2、2008⑻伊藤聡「二間観音と天照大神─天皇の念持仏との習合」 同『中世天照大神信仰の研究』 法蔵館、2011年⑼注⑶に同じ⑽藤井恵介「真言密教における修法灌頂空間の成立」 『仏教芸術』150、1983年⑾注⑸に同じ⑿注⑹に同じ⒀藤井由紀子「聖徳太子霊場の形成─法隆寺・四天王寺と権門寺院─」 吉田一彦編『変貌する聖徳太子─日本人は聖徳太子をどのように信仰してきたか』 平凡社、2011年⒁松岡久美子「聖徳太子の物部守屋討伐譚と山門の四天王法─四天王寺様四天王の受容をめぐって─」 中野玄三・加須屋誠・上川通夫編『方法としての仏教文化史─ヒト・モノ・イメージの歴史学』 勉誠出版、2010年⒂奥健夫「「等身像」概念について」 『美術史家、大いに笑う─河野元昭先生のための日本美術史論集』 ブリュッケ、2006年⒃新行紀一「足利氏の三河額田郡支配─鎌倉時代を中心に─」 『日本社会史研究』 笠間書院、1980年⒄山口隆介「東大寺の鎌倉再興をめぐる信仰と美術」 『頼朝と重源 東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆』 奈良国立博物館・朝日新聞社、2012年⒅塩澤寛樹『仏師たちの南都復興鎌倉時代彫刻史を見なおす』吉川弘文館、2016年⒆山本勉「足利・光得寺大日如来像と運慶」 『東京国立博物館紀要』23、1988年⒇伊藤聡「天照大神・大日如来同体説の形成」 同『中世天照大神信仰の研究』 法蔵館、2011年 瀧山寺像が大日如来ではなく観音を中尊としたことについては、頼朝の生来の篤い観音信仰との関係も想定される。瀨谷貴之「運慶─中世密教と鎌倉幕府─」 『運慶 中世密教と鎌倉幕府』 神奈川県立金沢文庫、2011年─」 『仏教芸術』313、2010年― 252 ―

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