2.新たな方法論的視座としての「景相生態地理学」(Landscape ecogeography)本研究の主たる考察対象は、20世紀ドイツにおけるもっとも重要な多年草栽培家・造園植栽家・庭園思想家カール・フェルスター(Karl Foerster, 1874-1970)のきわめてユニークな活動と思想である(注3)。フェルスターは、ベーレンス、ハンス・ペルツィヒ(Hans Poelzig, 1869-1936)、オットー・バルトニング(Otto Bartning, 1883-1959)、エーリヒ・メンデルゾーン(Erich Mendelsohn, 1887-1953)、ハンス・シャロウン(Hans Scharoun, 1893-1972)ら、モダニズムを代表するドイツの建築家らが生前に親しく交流し、庭園制作において協働した人物である。そして、ベルリン(後にポツダム近郊ボルニム)を拠点に1906年に開始した植物(主に多年草)栽培および造園活動の最初期に、ミース・ファン・デル・ローエの処女作《リール邸》(1908-1909年、ポツダム近郊ノイバーベルスベルク)〔図1〕(注4)のために、自らの園芸農園で栽培した多年性植物を植栽し、その庭を造園したことで知られる。この事実については、たしかに、近年の建築史学領域における先行研究も着目するところである(注5)。の問題と位置づけ、とくに近代建築と近代園芸学との制作論的な交通を重視することによって、「建築」と「植物」、それら両者の一体的デザインによる新たな建築環境空間創出の意義、ならびにそこでの未解明な諸問題を実証的に追究することを目的とする。しかし、その反面、そのようなフェルスターの植物学的・造園学的思想と実践活動の根幹に、実は、19世紀ドイツの自然誌学・地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt, 1769-1859)の「植物地理学」(Pflanzen-Geographie)、また生物学者エルンスト・ヘッケル(Ernst Heckel, 1834-1919)の「生態学」(Ökologie)の思想を受け継ぐきわめて多層的な思索が存在する事実については、これまでのところ、少なくとも美術史学・建築史学の領域においては、日本のみならずドイツをはじめとする欧米の研究においても、検証される機会に恵まれてこなかった。この問題が、19世紀、とりわけその後半期に庭園が経験する様式的変化にさえけっして無関係ではなく、それゆえモダニズム建築と庭園の相互関係性を考察する上で、きわめて重要であるにもかかわらず、である。本研究が試みるのは、モダニズム建築を特徴づける19世紀末から20世紀初頭における庭園の問題点とその特性を、既述の通り、そこに植栽された植物そのものを重視する立場に立って、あえて様式的な特性として語るのではなく、むしろ庭園の形成を支― 257 ―
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