えている自然的世界観から明らかにすることである。それによってはじめて、庭園を構成する植物そのものへと接近するモダニズム建築における本質的な関心の有り様が照らし出されるにちがいない。そのためにも本研究は、フンボルトからヘッケルへと展開する19世紀的な自然環境思想から得られる示唆を、美術史学・建築史学研究の新たな方法論的視座として組み替え、それへと接続させることを試みる。フンボルトの植物地理学における特性は、植物を種の分類学に基づいて捉えるカール・フォン・リンネ(Karl von Linné, 1707-1778)の分類学的な立場とは異なり、むしろ「ある地域の植物集団が顕示する全体」がそれを観る者に与える総体的印象を重視する点にある。そして、観る者にとって全体として経験される植物集団の印象について、それが自然の景観を相貌的に特徴づけるという意味で、フンボルトはそれを「景観の相貌」(la physionomie du paysage)として規定した(注6)。ドイツ語で書かれた論考としては、彼の新大陸探検(1799-1804年)直後の1806年に刊行される「植物相貌学考」において、はじめてこの「相貌」概念は登場する(注7)。景観を決定づける相貌とは、ほかでもない植物の「植生」(Vegetation)が土壌地質、気候、海抜高度、水平屈折などさまざまな自然要因と相互因果的に関連し合うことによって決定づけられるというのである(注8)〔図2〕。つまり、フンボルトの植物地理学は、その本質において、そうした自然の諸要因が互いに連動し合う相互関連性から自然界を解明し、それによって得られる個々の現象についての知見から総合的な世界像を獲得しようとする関心に動機づけられているのである。無論、「植生」に基礎づけられる自然環境は、動物や人間との間の生存に関わる連鎖的で相互依存的な関係性によって成り立っている。フンボルトの自然誌学・植物地理学的研究が、その後、ドイツの動物学者ヘッケルによってギリシア語の「オイコス(=家)」(oikos)概念をもって提唱される「生態学(エコロジー)」(『一般形態学』、1866年)を基礎づけたとみなされる所以は、まさしくそこにある(注9)。そのようなフンボルトの取り組みは、有機的生命体を取り巻く環境問題を、「人間・自然・文化」が互いに接続し合う新たな複合的視座のもとへと我々を導いてやまない。本研究における「景相生態地理学」(Landscape ecogeography)の提案は、したがって、モダニズム建築と庭園、つまりは植物との関係性が創出したのがまったく新たな建築環境空間であったとの認識に基づき、その認識を19世紀以来の自然的世界観と直接的に接続させ、統合するための方法論的視座にほかならない。たとえば、地理学研究の分野においてはすでに、植生に従った「景観の相貌」というフンボルトの構想が後の「景観生態学」(Landscape ecology)の礎となったとの認識が一般に了解されて― 258 ―
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