鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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「Shining Forth(直訳すれば『前方への輝き』)」は、ジャッドやヘスが報告する絵画経験をあらかじめ先取していた。その題名は、ニューマンがこの問題についてきわめて自覚的に取り組んでいたことを私たちに教えている。《輝きわたる》という絵画の題名は、急逝した弟ジョージの名にちなむものでもあった。ニューマンはユダヤ系の家系であり、ジョージのミドルネーム「Zerach」にはヘブライ語の「輝く」という意味が託されていたからである。白く発光するジップを描くことで、ニューマンは、このモノクロームの作品で、ジョージの名にちなむ、輝き=光の現象そのものをつくりだそうとした。同時にモノクロームはもちろん喪の色彩であり、そこにジョージの死が意識されていることは間違いない。たとえば、ローレンス・アロウェイは、ニューマンが死を意識してこの作品を仕上げたのだと言い(注5)、ヘスは、ジョージの名前にちなみ、ニューマンは光を描こうとしたのだと言う(注6)。しかし、より正確に言えば、ニューマンがここで賭けているのは、双方の共存可能性である。この作品では、虚のジップこそが光り輝く。そこではパラドキシカルな「無の現前」が生じている。この不在の現前が示すのは、死を通じた生、あるいは生を通じた死の形象にほかならない。虚のジップは、メタフォリカルな死を具現化する虚無によってこそ光り輝いている。3.「十字架の道行き」《輝きわたる(ジョージへ)》の否定的現前が差し出す生と死の反転は、その数年前から着手された「十字架の道行き」でより宗教的なトーンを帯びる。ニューマンは1958年に《第一留》と《第二留》を制作し、1960年に、《第四留》を描いていたとき、この絵画群を連作化する構想を得た。この連作は《第一留》から《第一四留》までのモノクロームの画面に《存在せよⅡ》を追加した計15枚の画面から成立する。《第一留》から《第一四留》〔図4~7〕まで、ニューマンは黒、白、ロウ・カンヴァスの地の色の三色だけを使用して描いた。《第一留》からニューマンが連作化を決意する《第四留》には、ある重要な共通性が存在する。すべて、《輝きわたる(ジョージへ)》でも顕在化した虚のジップが描き込まれているのだ。連作では《第五留》〔図8〕に至り、はじめて黒いジップが描かれる。つまり、ニューマンは《第一留》から《第四留》までの「道行き」において、執拗にジップの「無の現前」を追究している。絵画史的に、通常「十字架の道行き」という主題は、イエスが死刑宣告を受ける場面から始まり、イエスが十字架を背にヴィア・ドロローサを行き、ゴルゴダの丘で磔刑死して埋葬されるまでの過程が14の場面に分けて描かれる。14の道行きが主題化する― 16 ―

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