鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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2〕の影響がみられるが(注20)、聖母子の背後には針葉樹が二本描かれ、画面左側ではアルプス地方の山々などの開かれた風景が描かれている。ノルは、鑑賞者は聖母子像の背景のドイツ的な風景描写を目にして祈ることで、神をより身近な存在として瞑想することが可能になったという(注21)。ノルが指摘するように、「閉ざされた庭」に由来するような象徴的な描写は、その作例の多さから、当時のドイツにおいて独特の意味を持っていたといえるだろう。また、多くの聖母子像で風景が詳細に描写された背景には、ノルが言うような瞑想の目的があったことが想定される。さらにこれらの新たな象徴物やドイツ的な風景表現は、聖母が中心となって物語表現が曖昧になっていた、ドイツの「エジプト逃避途上の休息」の作例にもみられる(注22)。このことから、アルトドルファーの《エジプト逃避》にも、聖家族像でありながら、単独の聖母子像と類似した特徴があったと指摘できる。さらに、聖家族像であるエジプト逃避図像に描かれた象徴物について具体的にみていきたい。アルブレヒト・デューラーが詩人ベネディクトゥス・ケリドニウスと共同制作し、1511年に出版された『聖母伝』は、当時の信仰のあり方と人文主義的意味が反映された特徴的な作品として知られている(注23)。本作にはネーデルラントやドイツで受容されてきた伝統的な描写もみられるが、物語的表現が希薄になった象徴的な描写も散見される(注24)。版画連作の中でもとりわけ象徴的表現が明確に観察できるのが、《聖家族のエジプト滞在》(1502年頃)〔図4〕である。同図では天に受肉の象徴と解釈できる三位一体を表す像が見られる(注25)。またこの場面の背景には泉が描かれているが、これは聖母の純潔の象徴と考えられるだろう。パノフスキーは、本図はもともと『聖母伝』に組み込まれておらず、独立した聖家族像として制作されていたと指摘する(注26)。少なくとも、この本版画は、ケリドニウスの「エジプト逃避途上の休息」のラテン語の詩と対応する頁に掲載されたにもかかわらず、その主題とはかけ離れた描写が散見されるのである。このことは、多様な象徴的表現による聖家族図という特徴をもっていても、「エジプト逃避途上の休息」という情景として理解できるような、独特の認識を当時の鑑賞者が共有していたことを示しているのではないだろうか。以上述べてきたことから、アルトドルファーの《エジプト逃避》の噴水や風景描写にも、当時のドイツにおける聖母子や「エジプト逃避」図に見られる象徴表現の多様化という特徴をもっていたことを指摘したい。そのため次章では、聖母のための祈祷書や人文主義者による詩文を参照することで、聖母子や聖家族図に描かれたモチーフ― 270 ―

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