ここに端的に現われている通り、西欧において、「デッサン」という言葉は、外界の描写のみに限定されない、概念的な構想や内的なイメージの生成という意味を孕んでいる。一方、19世紀半ばのフランスにおいて、デッサンの習得方法は、3種類の分類による極めて体系的なものであった。直線と曲線によって形づくられる幾何学的な図形による「線型デッサン」、網目模様や唐草模様といったモティーフによる「装飾デッサン」、そして手本の模写による「模倣デッサン」である。こうした教育法の背景には、スイスの教育思想家ペスタロッチ(1746-1827)の影響があった。「ペスタロッチ思想のもとでは、デッサン教育もまた単純なものから複雑なものへと進まなければならないと言われていた。生徒はまず直線を、続いて、三角形、長方形、正方形を描く練習をして、それから円に移る。ずっと後になって、生きたかたちの輪郭を描くことになる」(注3)とベルクソンが述懐する通り、ペスタロッチ式のデッサン教育は、幾何学デッサンをもとに、それを発展させていくというプロセスを重視していた。デッサン教育の現場で支配的であったこの方法に一石を投じたのが、ベルクソンの師でもあった哲学者フェリックス・ラヴェッソン(1813-1900)である。ラヴェッソンは、文部省官房長、公立図書館総監察官、哲学の大学教授資格審査試験の審査主査、ルーヴル美術館の古代美術および近代彫刻部門の学芸員などを務め、文部行政に携わる学者、官僚として、要職を歴任した人物である。1852年にフランスの文部省によって推進された素描教育改革の委員長を務めており、委員にはドラクロワやアングルも名を連ねていた。この改革の目的は、当時採用されていたペスタロッチの思想に基づくデッサン教授法の見直しであり、ラヴェッソンは直ちに報告書をまとめ、素描教育法の根本的改革を提案している。改革の動機となった理論的考察は、大臣に提出された報告書(注4)、およびのちに出版された『教育学辞典』のなかの、ラヴェッソンが執筆を担当した「芸術」および「デッサン」の項で展開されている(注5)。ラヴェッソンは、幾何学的なデッサンではなく、有機的で柔軟な動きのある線によって素早く対象を捉えるデッサンを通じて、精神の働きや直観、集中力を養い、「眼の良き判断力(le bon jugement de lʼœil)」(注6)を育むことができると主張し、何よりも人物をデッサンすることを重視した。そこで参照されているのは、イタリア・ルネサンスの芸術家たちの思想である。ミケランジェロの、形は「蛇のような」曲がりくねったものでなければならないという考えや、レオナルド・ダ・ヴィンチの「生物は波形すなわち蛇形の線によって特徴付けられ、すべての存在はその固有のうねり方をもち、芸術の目的はこのうねりを個性的ならしめることである」といった言説を引― 281 ―
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