1.二次元の形象:直線、正方形、長方形、斜線、曲線、円、楕円、渦巻き曲線2.三次元の形象: 透視図、立方体、直方体、三角錐、円柱、円錐体 の方法論は、デッサンを「対象の正確な表象」と定義し、幾何学を「デッサンの科学の基礎」に据えたものであった(注11)。デッサンにおける規則性は、労働者や芸術家のみならず、あらゆる人々にとって精神を整えるために有用とみなされた。ギヨームが理想とする「幾何学デッサン」は、以下の3段階によって習得される。3.人間や動物の形象:骨格や筋肉の研究、古代彫像の模倣ただし、ギヨームが幾何学に基づく教授法を主張したのは、必ずしも個々人の素描能力を画一化するためではない。むしろモデルを忠実に模倣させるという当時の教育の主流に疑問を投げかけ、尺度や透視図、解剖学といった基礎となる知識を身に付けることで、それをさまざまに応用することができるようになると考えたためである(注12)。また、ギヨームが人体のデッサンを頂点に形成されたデッサン教育にも異を唱え、動物、植物、装飾モティーフ、建築などのデッサンも同等に扱うべきとしている点にも注目したい(注13)。そこには、デッサンをアカデミックな芸術教育に限定せず、装飾芸術にも広げたいという意図があったのではないだろうか。装飾デッサン理論と絵画当時のフランスでギヨームの教授法が受け入れられた背景には、装飾美術と、それを支える技術への関心の高まりがあったと考えられる。とりわけ、1851年のロンドン万博の報告として出版された、レオン・ド・ラボルドによる『諸芸術と産業の融合』(1852年)は、19世紀フランスの産業芸術振興運動の嚆矢となる(注14)。そこでラボルトが主張したのは、学生の独創性を伸ばすために、多少の欠点を寛大に受け入れるべきという、アカデミスムの価値観とは相反する見解である(注15)。続く1869年にパリで開かれた産業芸術に関する会議ではデッサン教育の問題が議論の中心となり、手本となる版画の模倣ではなく、幾何学を基礎として独創的な装飾を生み出すべきとの意見が述べられた(注16)。ここには、すでに触れたギヨームの理念との一致を見てとることができる。他方、人体デッサンをおろそかにする動きに反発した、より保守的な建築家アシール・ヘルマンは、デッサンを通じて大芸術における精神的価値や美の規範、良き趣味を産業芸術にもたらすべきと唱えている(注17)。だが、アカデシンプルな日用品(机や本など)、装飾的なレリーフ― 283 ―
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