ト、ビザンティンやインドといった非西欧の装飾文様は、西欧の伝統である大芸術に対する装飾=他者という図式を露呈させると同時に(注23)、幾何学的な要素を組み合わせる装飾の無限の多様性を鮮やかに提示してみせた。こうした文様集は、オリエンタリスムの流行とも相まって、多くの画家たちにインスピレーションを与えた。とりわけよく知られた例として、ギュスターヴ・モローは、オーウェン・ジョーンズをはじめとする複数の文様集のデッサンを模写し、自身の絵画にも取り入れている(注24)。また、非西欧のアラベスク模様に加えて、植物も重要な装飾モティーフであった。アール・ヌーヴォーの立役者としてデッサン教育にも力を注いだウジェーヌ・グラッセは、1897年に弟子たちの手による『植物とその文様への応用』〔図3〕を監修し、自然界に存在する多彩な植物をもとに、優美な曲線と複雑な構成、洗練された色彩による装飾文様を提案した(注25)。そして世紀を跨ぎ、彼が1905年に出版した『文様構成の方法』〔図4〕は、ブルゴワンの幾何学スタイルを引き継ぐものであり、ギヨームの方法論とも見事に呼応する(注26)。この理論書は、「直線的要素」(384頁)と「曲線的要素」(496頁)の2巻からなる大著で、いずれも点から線、線からひとつの形、ひとつの形からその組み合わせへと展開していくデッサンを見せることで、独創的で複雑な文様を生み出すための基礎を図解した野心作であった。さらに、グラッセは未完に終わった『植物の構成』(1911-1912年)〔図5〕のための約100枚の草稿を残しており、過去の2冊の理念を組み合わせて、幾何学と植物の有機的な線を融合させた装飾デッサンの方法論の構築を試みている(注27)。いずれの場合も、グラッセの教授法に共通しているのは、①自然の模倣、②形の様式化(stylisation)、③装飾への応用、というプロセスだった。そこには、「アール・ヌーヴォー」という一時代の流行に終わるのではなく、「芸術とは常に新しくあるべき」というグラッセの信念が貫かれている。そして幾何学こそは、無限に新たな形や文様を生み出すための基礎にほかならなかった。やがて、19世紀末から20世紀初頭にかけて装飾の領域で突き詰められたフォルムの探究は、20世紀前半に花開くデザインや抽象絵画に影響を与えることになるだろう。装飾の美学と抽象絵画との関連は、すでにさまざまな展覧会や研究で指摘されているとおりである(注28)。装飾デッサンの理論書や文様集が広く読まれるようになったこの時代、ルノワールのように、装飾に関する著作を発表する芸術家も現れたが、1885年に『デッサンと色彩』を出版した版画家のフェリックス・ブラックモンもそのうちの一人である。この本は、デッサンと色彩という絵画を構成する二つの要素に捧げられたものだが、同時― 285 ―
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