に、「芸術は装飾から生まれた」(注29)と主張するブラックモンによる、芸術における装飾的要素についての考察ともなっている。ブラックモンにとって、装飾とは芸術と対立するものではなく、色彩とデッサンによって自然を変形し、フォルムの無限のヴァリエーションを生み出すという特徴によって、「芸術の完全な本質」(注30)とみなされるべきものであった。また、ブラックモンの理論において異彩を放っているのは、装飾が単にスタイルの生成をもたらすだけでなく、有機的な感覚を生むものでもあるとしている点である。すなわち、装飾は「作品において、手に触れられる明白さと捉えどころのなさを結び付け、諸芸術にその表現の広がりを与える」(注31)のである。あらゆる芸術に装飾が宿ると考えていたブラックモンの理論は、当時の画家たちに広く共有されていた。そして、装飾と絵画との結びつきを、もっともよく体現しているのが、装飾芸術が花開いた時代に活躍したナビ派の画家たちである。彼らは装飾的要素を絵画に取り入れただけではなく、家具や壁紙、扇といった実際の装飾美術品の制作にも携わった。ナビ派の理論家でもあったモーリス・ドニは、その著書『理論:1890-1910』のなかで、ナビ派結成のきっかけともなったゴーギャンの芸術と装飾の関係を論じながら、ブラックモンと同様に、「あらゆる絵画は、装飾すること[décorer]、装飾的であること[être ornemental]を目的としている」(注32)と述べている。この言葉には、絵画は室内や建築を飾るものであると同時に、その表面も装飾的要素によって構成されるという、ナビ派の美学が凝縮されているように思われる。実際に、ナビ派の画家たちは、大画面の装飾画を多く手がけると同時に、装飾文様のほどこされたモティーフを頻繁に絵画作品に取り入れている。たとえば、ピエール・ボナールの《黄昏》あるいは《クロケットの試合》(1892年)〔図6〕では、風景のなかに配された人物たちが身にまとう衣服の柄と、彼らを取り囲む風景―木の葉とその影、草むらの描くアラベスクが、画面全体に装飾的な効果を与えている。風景のアラベスクと人物の組み合わせは、グラッセの作品にもみられた手法である。また、フェリックス・ヴァロットンの《怠惰》(1896年)〔図7〕は、裸婦がまどろむベッドを覆うシーツやクッションの模様によって図と地の関係が揺らぎ、裸婦やクッションのヴォリュームが消え、装飾的な平面性が押し出された作品となっている。そして、エドゥアール・ヴュイヤールは、アンリ・ヴァケ医師の図書室を飾るために注文された4点のパネルから成る装飾画《人物のいる室内》(1896年)〔図8〕において、瀟洒なブルジョワの室内でピアノの演奏や裁縫仕事にいそしむ女性たちを描き出している。この作品を際立たせているのは、壁紙、絨毯、ソファーやクッションのカバー、そして女性の衣服といったありと― 286 ―
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