鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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注⑴ Gérard Monnier, Lʼart et ses institutions en France, Paris: Gallimard, 1995, pp. 79-87.⑵ Charles Blanc, Grammaire des arts du dessin, Paris: Librairie Renouard, 1867; Paris: École nationale ⑹ ⑺ ⑻ ⑼ Felix Ravaisson, « Rapport adressé à M. le ministre de lʼinstruction publique et des cultes », op. cit., pp. ⑽ Renaud dʼEnfert, « Du dessin aux arts plastiques », Une histoire de lʼécole, Anthologie de lʼéducation et ⑶ Henri Bergson, La Pensée et le mouvant, Paris: Félix Alcan, 1934, pp. 277-278.⑷ Felix Ravaisson, « Rapport adressé à M. le ministre de lʼinstruction publique et des cultes », Ministre de ⑸ Félix Ravaisson, « Dessin », Dictionnaire de pédagogie et dʼinstruction primaire, F. Buisson (éd.), Paris: 67-73.あらゆるモティーフの表面を覆い尽くす装飾文様である。画面全体が赤みがかった色彩で統一され、細やかな文様がびっしりと並べられることで、物と物の間の境界線は曖昧になり、混沌とした距離感のつかみにくい空間のなかに、人物の姿が埋没していく。また、左側の2枚のパネルに描かれた書棚は、おそらくこの絵が掛けられた図書室に置かれた現実の書棚とも響きあったことだろう。当時の室内装飾を反映したようなナビ派の作品には、装飾の飽和状態ともいうべき、モティーフの過剰さがみてとれる。彼らの作品を特徴付けているのは、アラベスクで縁取られたフォルムと、絵画の表面を覆う細かな装飾文様との拮抗である。それらは、同時代の装飾デッサンの理論家たちが目指したフォルムの様式化を、ともすれば崩してしまうような危うさを秘めている。さらにいえば、19世紀後半のフランスにおいて長らく支配的であったラヴェッソンの有機的デッサンとギヨームの幾何学的デッサン、いずれにも属さないフォルムが息づいているともいえよう。色彩のコントラストによって強調されるアラベスクと、連続する装飾モティーフがもたらす曖昧さの狭間で揺らぐフォルムは、あちこちに装飾が氾濫していたこの時代の肖像ともいえる。20世紀に入ると、抽象絵画の興隆とともに、フォルムは単純化の方向へと急速に向かっていく。19世紀の装飾デッサンが生み出した過剰なフォルムと、20世紀のデザインが目指した純粋なフォルムとのあいだの連続と断絶について、時代背景もふまえながら考察することを、今後の課題としたい。supérieure des Beaux-arts, 2000, p. 54.lʼinstruction publique et des cultes de lʼenseignement du dessin dans les lycées, le 28 décembre 1853.Librairie Hachette et Cie, 1882, tome 1, pp. 671-684.Ibid., p. 673.Ibid., p. 680.Ibid., p. 682.de lʼenseignement en France XIIIe-XXe siècle, Paris: Retz, 2000, pp. 351-358.― 287 ―

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