鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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(3)展覧会を巡る雪舟評価の人的ネットワーク会報告 第二次』12輯(1923年)に掲載されている。雪舟筆として出品された作品は29件で、帝室博物館蔵「破墨山水図」(現在東京国立博物館蔵)・原富太郎(三渓)蔵「山水小巻」(現在京都国立博物館蔵)・「鎮田滝図」(焼失)などが含まれていた(注19)。出品作品の中に、現在の雪舟研究で雪舟の真筆とされている作品が3件含まれており、その内訳は、現在国宝となっている作品が1件、重要文化財が2件あったことは注目される。さらに益田兼施蔵「四季花鳥図屏風」(現在京都国立博物館蔵)を、所蔵先だった島根県の益田家から初めて東京まで運び展示(注20)するなど、雪舟研究の成果の公開と研究の進展への貢献を意識した展覧会だったと考えられる。次に、雪舟を高く評価し、これらの展示に関わった人的ネットワークを分析する。4つの雪舟展に関った人的ネットワークは、主に、政府の管轄機関とその関係者、画家、財界人、旧藩主たちで、官財民がそれぞれの立場から雪舟展を支えていたといえる。まず雪舟流展について、出品目録に記載された出品者や出品機関をみると、文部・宮内省の管轄機関とその関係者、画家、財界人、旧藩主などの名前がある。具体的には、東京美術学校や東京帝室博物館、博物館関係者の九鬼隆一、東京美術学校出身の川端玉章のほか、当時の財界の有力者、例えば横浜正金銀行頭取の原六郎や、三井財閥の益田孝ら、旧藩主としては、黒田長成や秋元興朝らがいた。彼らはそれぞれ所蔵する雪舟作品を、真贋に拘らず出品することで展覧会を支えていた。井上邸での400回遠忌会は、当時三井家顧問だった井上馨を中心とする、三井財閥の体制強化を目的とした私的な鑑賞会だったと考えられる。というのも、前述のようにこの展示は招待制であり、出品者を見ると、大蔵省関係者、三井財閥、日本美術協会、旧藩主からなる人的ネットワークとなっているからである。具体的には、大蔵省関係者として、のちに首相となる松方正義、三井財閥関係者としては、元大蔵省官僚で三井家副顧問となっていた益田孝、三井合名会社社長の三井八郎次郎、三井銀行の高橋義雄らがいた。さらにここに挙げた三井財閥の人々は日本美術協会の役員も兼ねており、日本美術協会関係者としては、他に貴族院議員で画家だった下條正雄も作品を出品していた。旧藩主には、毛利元昭や前田利為などがいた。毛利元昭は、井上馨の出身地である旧長州藩の旧藩主であり、井上は毛利家の内向きの顧問でもあった。よって毛利家顧問としての井上の人脈が、当時すでに高く評価されていた毛利家所蔵の「山水長巻」の出品を可能にしたと考えられる。さらに井上と、井上に近い三井財― 295 ―

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