第2回日本名宝展の特別企画として開催された「雪舟デー」の人的ネットワークを考えるために、「雪舟デー」の母体となった第2回日本名宝展の関係者に注目してみると、第一章で検討した、雪舟を高く評価する人的ネットワークが重層的に関与していることがわかる。具体的に見てみよう。第2回日本名宝展の関係者は、顧問が4人、賛助員が42人、評議員が31人であり、顧問と賛助員は官僚・財界人・旧藩主ら、評議員は当時影響力があった日本画家や研究者らによって構成されていた。この関係者の中に、第一章でみてきた、雪舟を評価する財界人や旧藩主、東京美術学校や東京帝室博物館、日本美術協会の関係者などが見出せる。例えば顧問の中には、三井財閥の益田孝や旧福岡藩主の黒田長成、賛助員には、帝国蚕糸社長・横浜興信銀行頭取の原富太郎、評議員には、東京美術学校校長・雪舟遺跡保存会副会長の正木直彦、東京帝室博物館の溝口禎次郎や今泉雄作(日本美術協会理事を兼務)らがいた。さらに横山大観、竹内栖鳳(注29)、東京帝国大学の黒板勝美(雪舟遺跡保存会のメンバー)らの名前も見える。特に大観は、岡倉天心の言葉を引用しながら、当代日本画の模範として雪舟を高く評価する発言をしていたことに加え(注30)、大正末期から昭和初期頃は、水墨技法の研究に傾倒し墨絵作品を制作していたことが知られている(注31)。(1)出品作品(2)人的ネットワークことになったこの企画について、出品作品と人的ネットワーク、新聞社の宣伝に注目して考察したい。「雪舟デー」の出品作品は合計27件で、この中に、現在国宝指定の作品は3件、重要文化財は2件含まれていた。「雪舟デー」の出品作品の特質を探るために、第一章で検討した4つの雪舟展に出品された、国宝・重要文化財指定を受けた雪舟作品と、この「雪舟デー」に出品された国宝・重要文化財指定作品を比較していきたい。〔表〕をみると「雪舟デー」に出品された作品には、「秋冬山水図」などすでに旧国宝に指定され、東京帝室博物館の平常展などにたびたび展示されていた作品(注28)は選ばれていない。一方、明治期にすでに美術専門書などで紹介され、高く評価されていたが、個人所蔵などで旧国宝に指定されておらず、殆んど展覧会に出品されていなかった作品が多く選ばれていたことがわかる。つまりあまり公開されていなかった優れた作品を出品することで、専門家や美術愛好家の欲求を満足させ、一般大衆の関心を惹きつける展示を意図していたのではないかと考えられる。― 297 ―
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