注⑴島尾新「『天橋立図』論の前提」辻惟雄・戸田禎佑・千野香織・山下裕二編著『日本美術全集(3)雪舟評価の大衆化─新聞社の宣伝こうした雪舟を高く評価する人的ネットワークが、第2回日本名宝展の目玉企画としての雪舟デーの開催を可能にしたのではないかと考えられる。「雪舟デー」は新聞記事によると3日間限定の展示企画であり、初日に約1万5千人の入場者数を記録し、観覧時間を30分延長するほどの大盛況だったという(注32)。この盛況は、雪舟の魅力や、国宝級だとされる作品を多く展示したことを強調し観客の大量動員を目指す、新聞社による宣伝(注33)によってもたらされたと考えられる。というのも、「雪舟デー」とほぼ同様の質量を備えた雪舟作品を一般公開した展覧会としては、戦前では例えば、前述した、東京帝室博物館開催の雪舟流展があった(注34)が、これほど多数の入場者があったという記録は、「雪舟デー」以前の雪舟展にはみられないからである。新聞社による宣伝は、第一章で見てきたような、特権階級や美術愛好家といった一部の鑑賞者のみならず、不特定多数の一般大衆をも惹きつけ、雪舟評価の大衆化をもたらすことになったのではないかと考えられる。結び本論では、美術史家・美術愛好家・美術団体・財界・新聞社と、美術史研究などが連携して展開した雪舟を顕彰する展覧会を取り上げ、近代以降の雪舟評価の形成過程を辿った。結論として、19世紀末に始まる、アカデミズムや一部の特権階級による雪舟の再評価から、1930年代のメディア主催の展覧会による評価の大衆化へという、雪舟評価の形成過程の流れを明らかにした。またこの背景として、美術史研究の成果や、美術史家・美術愛好家といった雪舟評価の人的ネットワークと新聞社による宣伝が、重要な役割を果たしたのではないかと考えられることを指摘した。13巻』講談社、1993年。島尾新「『近代』の雪舟」国際交流美術史研究会編/発行『東洋美術史研究の展望』第16回シンポジウム報告書、1999年など。⑵山下裕二『雪舟はどう語られてきたか』平凡社、2002年など。⑶綿田稔「流行する雪舟」『歴博』132号、2005年など。⑷島尾新「雪舟画伝来資料近代編(稿)」『天開図画』2号、2000年⑸拙稿「岡倉天心の雪舟論」『五浦論叢』23号、2016年刊行予定。⑹『東京朝日新聞』1906年5月12日朝刊2面― 298 ―
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