そのようなキャリアを歩んだ代表的な作家が北代省三であり、実験工房のメンバーたちである。北代の個展は、今回のリスト化した範囲では(注2)、タケミヤ画廊で1951年10月と1953年6月におこなわれており、他の画廊での個展はない。他の実験工房メンバーでは、山口勝弘がタケミヤ画廊で1953年5月に個展をおこなっているほか、実験工房が事実上活動を終えた1957年以降には、サトウ画廊で1959年1月に個展を開いている。また、リスト外の時期ではあるが、1961年にサトウ画廊で「新鋭作家展」シリーズのあとを受けて企画された現代のビジョン展(企画・中原佑介)の作家に選ばれている。駒井哲郎は、タケミヤ画廊での個展はないが、南画廊で高く評価され、1956年6月、1958年12月、1960年4月に銅版画の個展を開催している。福島秀子は、タケミヤ画廊では1954年に、実験工房終了後の1959年8月には村松画廊で個展を開いている。大辻清司もタケミヤ画廊で1952年8月に小川義良と二人展を開催している。この他、実験工房としての展覧会は、タケミヤ画廊で1952年2月に、村松画廊で1955年11月におこなわれている。以上のことから、実験工房のメンバーは、当初は主にタケミヤ画廊を発表の場としていたが、タケミヤ画廊閉廊後は、山口はサトウ画廊、駒井は南画廊で個展を開き、村松画廊がその他の活動の受け皿となっていたことが分かる。また、山口は実験工房のメンバーの中でもっとも多く読売アンデパンダン展に出品している。北代が第1~4、6、9回に出品していたのに対して、山口は第2~15回まで、第14回をのぞいてすべてに出品している。福島が第2、3回に出品しているだけで、駒井、大辻は出品していないことを考えると、山口の出品回数は群を抜いている。いずれにせよ、実験工房のメンバーは、1950年代初頭に瀧口に見出されてタケミヤ画廊で発表の機会をえたのち、それぞれ画廊やアンデパンダン展で発表を続けていったといえる。実験工房以外で、タケミヤ画廊で個展を開催した作家で目を引くのは、利根山光人、小山田二郎、藤松博であろう。前二者は4回、後者は3回の個展をタケミヤ画廊でおこなっている。このうち、利根山と藤松は、いわゆる第一世代の「アンデパンダン作家」であり、瀧口が深く関わっていた読売アンデパンダン展で頭角を現した若手作家である。読売アンデパンダン展への出品は、利根山が第3~11、14回、藤松が第1、2、4~10回である。利根山は第3回展(1951年)で評価を高め、1953年から56年まで毎年タケミヤ画廊で個展を開催することになる。他方で藤松は、第4、5回展から評価されるようになり、直後の1953年2月、54年11月、56年1月とタケミヤ画廊で個展を開いている。他方で小山田二郎は、読売アンデパンダン展には第2回のみの出品である。むしろ、瀧口自身に見出されて、タケミヤ画廊での発表によって作家としてのキャ― 303 ―
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