㉙ ラウル・デュフィのテキスタイル研究:絵画との関連について研 究 者:国立西洋美術館 研究補佐員 矢 野 ゆかりはじめにラウル・デュフィ(1877-1953)は、20世紀の両大戦前後期に母国フランスを中心として、絵画をはじめとする複数の分野にまたがる総合的な創作活動に取り組んだ。激動の時世の反面で、彼は音楽や都市の社交生活、長閑な田園風景といった画題に恒常的に取り組んだ。人々の憂鬱な気分を晴らすような作風により、彼は「歓喜の画家」と称される。デュフィは画家としての形成期において、ウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネといった、同郷ノルマンディー出身の印象派の巨匠たちによる作品に学んだ。彼はその後フォーヴの画家たちと交流をもち、鮮やかな色彩と大胆な筆致でもって対象を描写し平坦な画面構成を特徴とする彼らの絵画に触発されつつも、その後衛の画家として独自の絵画的探求と創作活動に勤しんだ。デュフィはさらに、同時代の様々な美術と装飾芸術の動向に感化され、その造形表現の傾向を刻々と変化させてゆく。彼は、主に経済的な理由で比較的早くから画業の傍らで装飾芸術の仕事に従事したが、1910年から1933年までの間にテキスタイルとテキスタイル・デザイン(下絵)の制作に取り組んだ。その多くがリヨンの織物業社ビアンキーニ=フェリエ社(以下B.F.社)との仕事で制作されたものである(契約による制作期間は1912-28年)。本研究は、デュフィの絵画とテキスタイルにみられる造形上の影響関係を具体的に証拠づける試みである。先行研究はもちろん、彼の絵画や装飾挿絵版画と、テキスタイルの造形上の密接な結びつきを指摘している(注1)。しかし、造形上の共通点をもつ複数分野の作品群を一例ずつ比較してその関連性を検証する総括的な試みには、未だに論じられていない作例があり、深く掘り下げる研究が必要である(注2)。本稿では、「プロムナード La promenade」という、先行研究では詳細に論じられていない主題を表す作品群を取り上げ、〈絵画と装飾挿絵版画→テキスタイル〉というベクトルから、その複数分野の作品にみられる造形上の結びつきを検証する。そこで、デュフィと同時代に活躍した批評家たちが指摘した彼のテキスタイルの「絵画性」に留意し(注3)、絵画のイメージが装飾モチーフへと変遷する作画工程に着目することで一連の作品の制作経緯を整理する。また、テキスタイルの装飾モチーフが異なるデザインに構成される都度、モチーフ固有の概念も新たな意味合いを帯び、それらがテキスタイルにあたかもプリントされるか織り込まれるように徐々に蓄積されてゆく― 311 ―
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