鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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希求する精神と母国に対する強い愛国心の表象として解釈できる。また島根県立石見美術館所蔵のプリント・テキスタイル《古い小館または騎馬の男と女》(1919年頃)〔図6〕には、絵画《プロムナード》に描かれたイメージ─騎乗の貴婦人、細部が絵画と異なる青い屋根の屋敷とその入口の柱の上に置かれた壺─のほかに、新たに二角帽子をかぶった男性騎手(注12)が女性騎手と垂直線上に交互に向き合う様に配置されている。このテキスタイルには色や着彩箇所が異なるヴァリエーションやリプリントが多数存在する。その一点を所蔵するリヨンの織物装飾芸術博物館の色違いのテキスタイル(制作年不詳)〔図7〕には、最小限の彩色と柔軟性のある細い金色の輪郭線でもって一連のモチーフが簡潔に表されており、絵画のイメージは装飾模様へと変貌を遂げていることが明らかである。過去の展覧会の図録には、そのテキスタイルの制作年は1920年頃と記されているが(注13)、B.F.社の登録番号とそれと前後の登録番号をもつ作品2点の制作年の確認により、そのテキスタイルは1918年3月27日に最初に制作されたことがわかる(注14)。前述のテキスタイル《プロムナード》または《ブーローニュの森のプロムナード》は、ポール・ポワレ(1879-1944)(注15)作のドレス《ブーローニュの森》(1919年メトロポリタン美術館蔵)〔図8〕にドレスとして仕立てられた。P.ポワレは、古代ギリシアのキトンという衣服から着想を得て、コルセットでウェストを閉めずに両肩を支点として裾までストレートにドレープを流すヘレニック・スタイルを提案し、近代のモードを刷新した人物として知られる。本作も布地面が膝丈まで直線状に及ぶそのスタイルを呈し、テキスタイルの模様を生かしたドレスになっている〔図9〕。その模様について、「その主題と構成は、18世紀末のナント地方のトワルを思い起こさせ、そのカルトン〔下絵のこと〕は、いわゆる〈田園地域の楽しみ Plaisirs de la campagne〉という、トワル・ド・ジュイ(注16)で親しまれた主題なのだ」(注17)との言及がある。デュフィは1911年に、当時パリのフォルネイ図書館長を務めていたアンリ・クルゾ(1865-1941)が収集する、プリント・テキスタイル見本のコレクション約350点の閲覧機会を得ており(注18)、その制作初期からテキスタイルの染色や織りの技法とともに、ジュイ布を含む国内の伝統的なトワル装飾図案を熱心に学んでいた。デュフィが本作のテキスタイルを手がけた際にも、それらとの結びつきを意識しただろう。また、ポワレが戦前から発表していたモード製品にみられる、オリエンタル風、そしてミュンヘン風の素朴な装飾模様は一緒くたに見なされ、戦時下の― 314 ―P.ポワレのドレス《ブーローニュの森》にみる、デュフィのテキスタイル

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