1915年の夏以降、文芸雑誌の紙面上で辛辣な批判を浴びた。ポワレとデュフィの創作の傾向は、そういっためまぐるしい時勢のあおりを受け、自国文化の伝統とその正当性を意識する表象へとつながっていく(注19)。また、その装飾図案に関連する同時代の批評に以下の指摘がある。もし我々が、デュフィが署名入りの図案をプリントした絹織物、当世風のダマスク織、トワル・ド・トゥールノン(注20)の細部を注意深く観察するならば、我々はその布地上で採用された主題と相互関係を生み出しつつ、現代生活のエピソードを表す数々の断片が統合され且つ絵画的に強調されていることを、新たな喜びをもって見出すのだ。その様式はいかなる室内環境においても重きをなしその雰囲気を作る最重要の要素である一方で、それら断片の細部は、そこに備わった固有の歴史や物語が醸し出す洗練され表現力に富んだ魅力を、人々の目に向かって提示するのだ(注21)。テキスタイル下絵への絵画のイメージの応用時に、イメージに固有の歴史や物語は、絵画上の文脈からの切り離しにより一旦失われる。しかし先述の二つの指摘にもあるように、デュフィの絵画を当時見知り鋭い観察眼を備えた人々は、布地に広がるデザインに、元のイメージに固有の概念や価値、フランス国内の伝統的なトワルの典型表現とのつながり、その表層で展開される現代生活の主題が名残として留まっていることを見極めたであろう。つまりイメージの変遷が進むに伴い、オリジナルの造形に固有の概念や、その造形の改変時に(ときには無意識に)借用される過去の伝統的な装飾様式とのつながり、そして新たに表された主題といった多義的な意味をそのデザインは帯びてゆく。そういった布地に備わる豊かなコンセプトの一方で、本作のドレスが制作された同時代に、当時のモードとそれを牽引したポワレを含むクチュリエたちを、「歴史家」と批判し、その創作を「哀れな女性を閉じ込めるもの」であり、「回顧的な見取り図」とみなす辛辣な批評があったことも事実である(注22)。確かにそのドレスは、次世代のモードを導く革新的な創作とはいえない。但しそうした回顧的な作品コンセプトは、第一次大戦後の「秩序への回帰」の時代にみられた、平穏や親しみを感じさせる現代様式の嗜好に応えるものであった。また、着用者の動きに合わせて波立ち躍動感のあるシルク素材、布地の外側の世界と呼応し視覚的なリズムの反響をもたらす現代風俗を表す絵画的な装飾模様、鮮やかな色使いといったそのドレスに備わる諸要素― 315 ―
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