鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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朝倉三枝『ソニア・ドローネー 服飾芸術の誕生』ブリュッケ、2010年、275頁 D. ペレス=ティビはその著書に、以下のデュフィのテクスト(おそらく1927年の記述、個人蔵)を引用した、「芸術家が産業芸術に従事するためには、マティエールと製造過程をよく知らなければならず、その技巧を見習うには、多大な時間を犠牲することを伴う」。Dora Perez-Tibiop. cit., p. 114. La lettre de Raoul Dufy datée du 30 décembre, 1915. Fernand Fleuret letters received, 1907-1933 and Paul-Gustave van Hecke, “Raoul Dufy, le Décorateur”, Sélection, Chronique de la vie artistique etlittéraire, n°7, 4ème, année, le avril, 1925, p. 89. / デュフィは織物業社側の職人と検討しながらテキスタイルの利用目的(室内装飾か衣装用、またはその両方)に叶う模様や素材、織り方を考慮して下絵を制作し、その完成版を業者側に提供した。 デュフィは1915年3月8日から、1917年1月17日にパリの戦争博物館への配属を命じられ徴兵猶予となるまでの約二年の間、日中はパリ市内ヴァンセンヌの薬莢保管所やシャラントン=ル=ポンの自動車工場でボランティア作業に従事した(Vidal, op. cit., p. 48)。 筆者は2015年10月に、鹿島美術財団の助成により、リヨン織物装飾芸術博物館蔵のB.F.社の図案見本帳全191冊のうち、デュフィによる下絵のプリント・テキスタイルを所収する一部の見本帳(4冊 Inv. 50219, 50220, 50225, 50223)の閲覧許可を得て調査を行った。同館がその図案見本帳を所蔵するに至るまでの経緯については、以下の文献に詳しい;Guy Blazy “Au musée des Tissus de Lyon, une importante acquision: Les archives textiles. De la manufacture Bianchini-Férier”, Revue du Louvre: La revue des musées de France, Février, 2000, pp. 24-27, n°1. また、B.F.社は2002年12月にリヨンの織物業者Cédric Brochier社の傘下に入った。そのため同社は、リヨン織物装飾芸術博物館とは異なる体裁のB.F.社の図案見本帳〔Registre de références de la fabrique Bianihini- Férier.〕を含む関連資料を多数所有している(Oliver Bertrand “Les soieries de Lyon reprennent le fil du temps” Libération, le 7, janvier, 2003.)。 デュフィが手がけた同一主題の作品群の制作経緯を1点ずつ編年的にたどる試みには、(制作年を記さない等の)作画上の傾向により多く困難が伴い、未だその詳細が整理されていないという問題がある。それが長年の美術史研究における作家に対する評価に影響していたものの、近年は画家の制作行為そのものが顧みられるようになった。それゆえ、彼のような、必ずしも、習作から1点の完成作へと至る伝統的な絵画の作画法を踏襲しない近代画家に対して新たな評価がなされつつある(森美樹「ラウル・デュフィ 描く喜び─同一主題の二つのヴァージョンとその制作プロセス《森の騎手たち》と《馬に乗ったケスラー一家》を中心に」 『デュフィ展』 愛知県美術館;Bunkamuraザ・ミュージアム;あべのハルカス美術館、2014年、pp. 192-193)。undated. Folder1. Getty Research Institute, Los Angeles (910027)ルノン地域(Tournon)で制作されトワル・ド・ジュイを想起させるため、その名称で親しまれた。― 319 ―

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