鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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2代皇帝・太宗の昭陵に陪葬された麟徳2年(665)の李震墓からは、伏せた獣形の鈕を有し、葡萄唐草文をあしらった小型鏡が出土している(昭陵博物館にて展示)。7世紀の中頃にはほぼ完成形に近い海獣葡萄文鏡が製作されていたとわかる。高松塚古墳から出土した海獣葡萄文鏡は、直径16.8cmの中型鏡である〔図7〕。同型鏡がいくつか知られており、なかでも神巧2年(698)の墓誌を伴出した西安の独孤思貞墓から出土した例は、この鏡の製作年代を検討するうえで重要である〔図8〕。高松塚古墳出土鏡は文様の表出に曖昧なところがあるものの、和泉市久保惣記念美術館の所蔵する同型鏡は細部まではっきりと文様があらわされた精良な資料であり、こちらの鏡を見ながらその造形について検討を加える。狻猊は薄浮彫であらわしており、胴をひねって斜め後方を振り返る表現などは写実性が高い〔図6〕。a鏡の狻猊がほぼ真横から捉えられていたのに対して、胸や頭部に前方からの視点が加えられており、立体的にモチーフをあらわす意識が強くなっている。また、周縁部外側面の立ち上がりの角度がきつくなり、厚く作られる。次節でみる海獣葡萄文鏡はほとんど直角に近い分厚い周縁部を有することから、そこに至る過渡的な鏡体の形式とみられる。2 海獣葡萄文鏡の造形唐鏡のなかでも特に鋳造技術が高く、また特異なものとして海獣葡萄文鏡と称される一群がある。日本でも正倉院や香取神宮、春日大社に優品が伝来するとともに、奈良の高松塚古墳から出土したことで注目を集め、いくつかの研究がなされている(注8)。この鏡式の完成形は鏡背文様として葡萄唐草文と獅子や狻猊のような瑞獣をあしらい、獅子が伏せた形の鈕を有し、直立した厚い外縁を特徴とする。貞観19年(645)の墓誌を伴う西安の劉宝墓からは、内外区に葡萄唐草文と鳥獣を配した小型鏡が出土している(注9)。ただし鏡体の形式は外縁と凸圏の内斜面に二重の鋸歯文を有する、前節で紹介した初唐の鏡に近いものとみられる。また、内区に欠損があり、鈕の形状は不明であるものの、近い形式の例を参照すると、半球形の素鈕を有していたものと思われる。d.海獣葡萄文鏡(和泉市久保惣記念美術館)〔図9〕直径17.1cmで、伏せた獅子形の鈕を中心に、内区には龍あるいは麒麟のような瑞獣と狻猊をそれぞれ3頭交互に配する。前節でみた初唐の浮彫とは一線を画し、それぞ― 326 ―

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